共に組み合わされて建てられる
山脇望牧師
コイノニア館建築の完成に向けて、いよいよ具体的な働きが開始しました。多くの祈りと話し合いを通して、働きがこのように進められておりますことは感謝です。この建物を通して、さらに多くの人々に神の恵みがおよんでいきますようにと、願ってやみません。
改めて、教会は目に見えない「内のかたち」の具体的なあらわれであることを覚えます。
これは、教会を建てあげるという大切な働きを考えるとき、共通して言えることです。
「このキリストにあって建物全体が組み合わされ、主にあって共に建てられ霊なる神のすまいとなるのである」(エペソ2:21)
とありますように、「教会は神のすまい」であるということです。これは目に見える建物としての教会堂のことを語っているのではなく、聖霊なる神の宮、ご自身を現す場としての教会を表しております。
ここで大切なことは、それぞれ違った材料である私たちが、お互いに組み合わされていくことです。それはひとつの目的に向かって、すなわち「主の栄光をあらわす」ことのために造られ、組み合わされていきます。
どのようにして、組み合わされるために造られていくのでしょうか。神のみ言葉と聖霊の働きを通してです。各目が、自分の思い思いのままに何かをしていくうちにうまく組み合わされるというのではありません。
「かれは人間という家を建てています」という言葉がありました。神の宮としての人を造っているということでしょう。大工の子であったイエスは、今日、「私」を建てています。どの程度建て上げられているのでしょう。
「仕事のない人はありませんか。人をつくる大工であるわたしは、もっと多くの働き人を必要としています」(ヒルダ・W・スミス)の言葉がとても印象的です。
人はともすると、批判家になり、「これが足りない」「こうなっている」となってしまいがちです。途上にあるものを完成図と見て、そうなっていないと、判断をくだすことがありませんように。材料が弱いところもあり、高価でないところもあるでしょう。それはお互いに補い合って建てあげるのです。
コイノニア(交わり)の言葉のように、心からの交わりがなされ、心の豊かにされる場を与えていきますように・・・と祈ります。
2004年3月号