地に平和を

山脇 正子 副牧師

 会堂に入ると緑の香りが漂い、何とも言えない心地を抱きながら…。

 今年もアドベント(待降節)を迎える時なりました。
 ある方は山から、ある方はお庭からと集められた緑が、アドベントクランツ、リース、ツリー、ガーランドと、皆さんの手で作りあげられていきました。主のご降誕を喜びながら、アドベントを迎える第一歩でした。

 2000年前のあのクリスマスの日に、野宿をしながら羊の群れの番をしていた羊飼いたちに、
「きょうダビデの町に、あなたがたの救主がお生まれになった。このかたこそ、主なるキリストである」(ルカ2:11)
・・・と、み使いが声をかけられたことでした。
 救い主キリストのみ降誕を喜んで、喜んで、受け入れるべきなのに、受け入れる余地がなかったと記されています。待っていたのに…。本当に待つとは何でしょうか。

 2001年暮れ、この年のクリスマスほど「平和」を求められた年はないように、思います。私たちは、世界に平和を、と祈らざるを得ません。誰がこの年の始めに戦争を予測することができたでしょうか。ある日、突然「平和」は奪われてしまいました。国と国、否それは、人と人の姿なのです。
「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって……二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。……」(エペソ2:14~16)
 クリスマスを迎えるこの時、キリストにあって、神との平和を、人との平和を、自分との平和をいただいたものとして
「平和をつくり出す人たちは、さいわいである」(マタイ5:9)
・・・に、あるように、この時代にあってピースメーカーとして、歩む者でありたいと願います。
「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」(ルカ2:14)
 今日も天の軍勢のさんびを心の耳でききながら…。

2001年12月号