「祝福の言葉」

2024年8月11日礼拝式説教  
申命記 33章1~17節
        
主の御名を賛美します。

1、祝福の言葉
モーセは死に望んで、イスラエルの人々に祝福の言葉を述べました。この箇所はヤコブが同じように死に望んで12人の息子たちに祝福の言葉を語った創世記49章を思い起こさせます。合わせて読んで見ますと面白いと思います。

前回の32:49でモーセはネボ山に登って、神と向き合い、イスラエルと自分の過去と将来を見渡しました。そして最後にイスラエルを祝福しました。創世記49章ではヤコブも12人の息子を祝福しました。ヤコブと12人の息子たちの間には、それぞれに色々なことがありました。

同じようにモーセとイスラエルの民の間にも色々なことがありましたが、最後には祝福をしました。主にあって、周りの人々を祝福すること、人生の最後には特にそのようにすることを教えられます。それが本人にとっても最高の祝福であり幸せです。

怪しげな宗教で聞くことがあるのが、何か人が上手くいっていないときに、その原因は先祖の祟りであり、先祖の怒りを宥めるために、色々なことを行う必要があるということです。しかしよくよく考えて見ますと、例え自分の子孫が自分の意に沿わないようなことをしたとしても、そのことで子孫を本当に祟って苦しめようと思うような人が果たしているのでしょうか。

例えどんなに酷いことをされていたとしても、それでも自分の子孫の幸せを願うのではないでしょうか。ましてや怪しげな宗教が勧めるようなことをして、亡くなった先祖の気が晴れるということはないと思います。私たちはいつも祝福の言葉を語ることが周りの人にとっても、また本人にとっても幸せとなります。

2、頌栄
モーセ五書はモーセが書いたものと言われますが、申命記34章はモーセの亡くなった後のことが書かれていますので、恐らくモーセの後継者のヨシュアが書いたのだと思います。33章もその書き方から、モーセが語ったことをヨシュアが書いたように思われます。

モーセはまず初めに主を賛美します。祝福の源は主であるからです。モーセはシナイ、セイル、パランという地名を出して、これまでの荒れ野での40年間を含めて振り返ります。そしてこれまでイスラエルを守って来てくださった主の言葉を受けて、主の律法をイスラエルのものとして、主はイスラエルの王となられました。

3、ルベン
6節からは具体的なイスラエルへの祝福の言葉です。初めは長男のルベンで、名前は「子を見よ」という意味です。「ルベンを生かし、殺さないでください。その数が少なくなるとしても。」 これはどういうことなのだろうかと考えさせられます。確かにルベンは父の側女ビルハと姦淫の罪を犯しました(創世記35:22)。

しかしそれはイスラエルがエジプトに行く前のことですので、このときから4百年以上も前のことで、ルベンも遠の昔に亡くなっています。しかしそれでもルベン族はそのように言われ続けるのかと思います。罪の影響は色々なかたちで当人だけではなく、子孫代々まで続くものです。

ただルベン族はヨルダン川の東側に住みますので、周りの国からの攻撃があったり、それらの民族との同化の危機にさらされていたことがあります。それでも殺さないでくださいと主に祈ります。33章は申命記の纏め的な内容であると共に、モーセが書いたモーセ五書の全体の内容が関わるものです。

4、ユダ
2番目はユダで、名前の意味は「賛美」です。しかしユダは4男で順番が違うのではないかと思います。またそもそも次男のシメオンの名前が33章にはありません。シメオンとレビの兄弟は妹のディナが汚されたときに復讐を行い(創世記34:25)、イスラエルに危機を招く可能性がありました。

そのことによって、父ヤコブがイスラエルの中に散らすと預言したとおりに(創世記49:7)、シメオンはユダの割り当て地に住むことになりますので、ユダの祝福に含まれます。2番目に4男のユダが来るのは次男のシメオンが含まれているためなのかも知れません。

ユダはカナンの地の占領においてリーダー的な役割を担います。「その民のもとに戻してください。・・・あなたがその敵からの助けとなってください。」というのは、安全にユダが戻ることができるようにとの祈りの意味のようです。

5、レビ
3番目は3男のレビです。トンミムとウリムは初めの大祭司である、モーセの兄アロンが裁きの胸当てに入れていて(出エジプト28:30、レビ8:8)、神の御旨を伺う、くじのようなもののようです。マサとメリバは同じ場所の二つの名前で、民がレビ人の代表であるモーセに水のことで争って、モーセが杖で岩を打って、水を与えたときのことです(出エジプト17:1~7)。

9節は、モーセが十戒を授かるためにシナイ山に行っているときに、兄のアロンが金の子牛の偶像を造ってしまったときのことです。モーセが主に付く者は誰でも自分の兄弟、友人、隣人を殺すことを命じ、レビ人はその契約を守りました。

レビには二つの役割があります。一つ目は法と律法をイスラエルに教えることです。二つ目は、御前に香をたき、あなたの祭壇に焼き尽くす献げ物を献げることです。これは現代の牧師が説教を行い、聖礼典を執行することに引き継がれています。レビの名は、「結ぶ」という意味です。モーセは兄のアロンと自分の職務を引継ぐレビ人の力を祝福し、その手の業を受け入れてくださることを祈ります。それと共に、神とイスラエルに仕えて結ぶ大切な役割を担う、レビ人に逆らう者の腰を打ち砕き、憎む者を立ち上がれないようにしてくださいとも祈ります。

6、ベニヤミン
これまでの兄弟の順番は何となくは納得のできるものです。しかしここでなぜ4番目に末っ子のベニヤミンになるのでしょうか。主に愛される者であるからです。ベニヤミンの名前は、「後継者、名誉な者」の意味です。

「主に愛される者はその傍らに安らかに住まう」の言葉のとおりに、ベニヤミンの領地はエルサレムの傍らになります。「主は日夜盾で彼を守り、彼は主の肩の間に住む。」のです。

7、ヨセフ
5番目は11男のヨセフで、ヤコブが愛した妻ラケルから生まれた初めの子です。ヨセフの名前は「加える」の意味で、その願いのとおりに、もう一人の子、ベニヤミンが加えられました。ヨセフのことが33章の祝福の言葉のほぼ中心に書かれて、内容も祝福が多くあることから、この祝福の言葉は中心構造で書かれていることが分かります。初めと終わりは頌栄となっています。

ヨセフにはあらゆる賜物が与えられます。天よりの露の賜物、下に横たわる深淵からの賜物は水の豊かな地域で、ヨセフの領地はマナセとエフライムです。太陽が生み出す賜物は収穫物で、月が生み出す賜物は、これは天体の月ではなく、月日を掛けて生み出される収穫物を指すようです。

その他にも、いにしえの山々の頂から、とこしえの丘から、地とそれに満ちるものからの、あらゆる賜物です。柴の中におられた方の恵みは、モーセ自身が柴の中におられた主から呼びかけられたことを思い返しています(出エジプト3:4)。

ヨセフの雄牛の初子はヨセフの次男のエフライムを指します。ヨセフの長男はマナセで、エフライムは次男ですが、祖父ヤコブは次男のエフライムを祝福しました(創世記48:19)。またエフライムとマナセはヤコブの孫ですが、ヤコブは自分の養子としました(創世記48:5)。後にイスラエルは南北に分裂しますが北イスラエルはエフライムと呼ばれるようになります。

8、祝福の言葉
これらの祝福の言葉を聴きますと部族によって、かなりの違いがあり、不公平な感じもします。これは現代でも同じで、人によって与えられている賜物に大きな違いがあります。そしてときに、そのようなことに不平や不満を抱き易いものです。

しかし全知全能の主は、それぞれの人の性格や、過去の経緯等をすべてご存じです。神の御計画を行うためには、同じような人ではなく、あらゆるタイプの人が必要なのだと思います。そして今年度の聖句のとおりに、全ての人は主の目に貴く、重んじられます。

私たち一人一人は色々な点で違うこともありますが、すべての人は神によって造られ、救い主イエス・キリストの尊い十字架によって贖われる貴い存在です。一人一人に合ったかたちで神は私たちの最善を考えて祝福してくださいます。

神に祝福されている、神のかたちに造られた者として、聖霊の導きによって、私たちも祝福の言葉を他の人に語り、私たち自身も祝福の道を歩ませていただきましょう。

9、祈り
ご在天なる父なる神様、御名を崇めます。モーセは荒れ野での40年間に、イスラエルの民から数々の不平や不満をつぶやき続けられながら、生涯の最後にイスラエルに祝福の言葉を述べました。それはモーセ自身にとっても大きな祝福です。

私たちもこの世の歩みの中で色々なところを通って行きます。しかし主によって救われ、主の祝福を受ける者として、聖霊の力によって祝福の基となり、周りの人々を祝福し、それによって自分自身も更に祝福される者とならせてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。