「正しい聖なる人ヨハネ」 

2025年5月4日 礼拝式説教 
マルコによる福音書6章14~29節
        
主の御名を賛美します。

1、ヨハネの生き返り
主イエスの名が知れ渡りました。これは主イエスの働きによることは勿論ですが、話の流れから考えますと、先週の主イエスの弟子の12人が遣わされて、働きが拡大したことも影響していると思われます。そして主イエスのことはヘロデ王の耳にも入りました。

主イエスがお生まれになったときに主イエスを殺そうとして、2歳以下の男の子の殺害を命じたヘロデ王が、マタイ2:16に書かれています。それは一般的にはヘロデ大王と呼ばれる今日のヘロデ王のお父さんです。今日のヘロデ王は、ヘロデ大王の息子のヘロデ・アンティパスで、実際には王ではなく、ガリラヤ地方の領主です。

主イエスの御業を見聞きした人々は、主イエスの正体について三つの意見に分かれていました。一つ目は、「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、あのような力が彼に働いている」。二つ目は、「彼は預言者のエリヤだ」、三つ目は、「昔の預言者のようだ」でした。

ヘロデはこれを聞いて、「私が首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言いました。ヘロデは良心の呵責もあって、心に平安が無く、動揺をしているようです。しかしヘロデだけでなく人々が主イエスをヨハネの生き返りと誤解をしたのも無理はないかも知れません。

主イエスと洗礼者ヨハネは親戚で年も半年違いです。若しかしますと外見や声も似ていたのかも知れません。しかも言われることも、「悔い改めよ、天の国は近づいた。」(マタイ3:2、4:17)と全く同じ言葉で、同じ神の御心のための働きをしていました。

2、正しい聖なる人ヨハネ
17節から、「実は、」で始まる過去の経緯があります。ヘロデは自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚をしていました。なぜそのような酷いことをしたのでしょうか。ヘロデ本人に勿論、問題があったと思います。しかしヘロデのお父さんのヘロデ大王も目茶苦茶な人でした。自分が王となり権力を握るためには何でもして来ました。

王となった後も、自分の地位を脅かすと疑って、自分の奥さんも子どもたちも殺した人です。ヘロデは酷い環境で育ち、ある意味で可哀想な部分もあります。しかし罪は家族に引き継がれて行きますので恐ろしいものです。ヘロデはヘロデ大王の10人の奥さんの内、4番目の奥さんマルタケの子どもです。

ヘロデは既にアラビヤの王の娘と結婚をしていました。ヘロデとヘロディアはお互いに既婚者で今で言うところのW不倫でした。ここでヘロデは別としてヘロディアはなぜ夫のフィリポを裏切ってヘロデに付いたのでしょうか。ヘロデが魅力的だったのかも知れませんが、他の理由もあります。

ヘロディアは名前からも分かりますようにヘロデ大王の孫で、ヘロデとフィリポの姪です。「ユダヤ古代史」という本によりますと、ヘロディアは自分が女王になりたいという強い望みがありました。流石はヘロデ大王の孫です。そこでヘロディアは夫のフィリポより、したたかなヘロデの方が王になる可能性が高いと考えたようです。

そこでまずヘロデはまず自分の奥さんであるアラビヤの王の娘と離婚をして、次に自分の生きているお兄さんの奥さんであるヘロディアと結婚をしました。それに対してヨハネは神から遣わされた正しい聖なる預言者として、ヘロデに「兄弟の妻をめとることは許されない」と正論を言っていました。

「言っていた」は未完了形で、完了せずに繰り返すことなので、「何度も言っていた」ということです。それに対してヘロデはヨハネの口を封じるために、人をやって捕らえさせ、牢屋につないでいました。

ここに信仰者と不信仰者の正反対の生き方が表れます。信仰者であるヨハネは神だけを正しく恐れて、人であるヘロデを全く恐れません。それに対して不信仰者であるヘロデは神を全く恐れません。恐れるのは人の目と自分の評判だけです。

ヘロディアは邪魔で余計なことを言うヨハネを恨んで、殺そうと思っていましたが、できないでいました。夫のヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、恐れ、保護していたからです。ヘロデは素直なところもありますが、何となく気の小さい人のようにも感じます。

また、ヨハネの教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていました。教会に通い始めて暫くは、このように非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾ける人は多くいるものです。

3、宴会
ところが、良い機会が訪れました。これはヘロディアにとっての良い機会です。ヘロデが、自分の誕生日に重臣や将校、ガリラヤの有力者たちを招き、宴会を催しました。するとそこに、ヘロディアの連れ子の娘が入って来て踊りを踊り、ヘロデとその客を喜ばせました。娘の名前はサロメと言われます。

娘が自分の判断で宴会に入って来て踊るとは思えませんので、恐らくは母親のヘロディアの指示による策略と思われます。踊りは品性のあるものではなく、官能的なものだったようです。ヘロデは自分の誕生日会に自分も客を喜ばす娘の踊りで上機嫌です。

王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言いました。現代の日本でも時々、聞くような言葉です。さらに、「お前が願うなら、私の国の半分でもやろう」とまで言って固く誓いました。これはエステル5:3、6でクセルクセス王が語った言葉です。

ローマの支配下のただの領主であるヘロデには国の半分を与える権限などはありませんが、自分を大きく見せようとするヘロデの宴会の席の言葉のようです。このような展開になることは、すべてしたたかなヘロディアの計算の通りだったと思われます。

少女が座を外して、母親の指示を求めて、「何を願いましょうか」と尋ねると、母親はストレートに、「洗礼者ヨハネの首を」とだけ答えました。早速、少女は大急ぎで王のところに戻り、「今すぐに、洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願いました。

子どもは親の言うことを聞いて育つものです。サロメもヘロディアのような酷い母親の元で育って哀れであるように初めは思いました。しかしサロメは、母親が言っていない、「今すぐに」とか、「首を盆に載せて」などといっています。サロメは素直に母親を喜ばせたい一心だったのでしょうか。しかし、母親に勝るとも劣らず、かなりしたたかで残酷な感じがします。

親が子どもを正しい道に導くのではなく、犯罪を行うようにそそのかすというのは恐ろしいことです。さらに子どもの罪は拡大して行きます。こうして罪は家系に引き継がれていきます。

王は非常に心を痛めましたが、誓ったことではあるし、また列席者の手前、少女の願いを退けたくありませんでした。ヘロデはとても愚かな考えをしていました。ヘロデは領主であり、地域での最高権威者ですからヘロデの決断は最優先されます。いつの時代でも権威者にとって大切な役割は正義を実現することです。

しかしヘロデが心に留めることは正義の実現ではありません。自分が、「誓ったこと」と「列席者の手前」です。自分のプライドや、自分が人からどう見られるかということが最優先でした。正義の実現や他の人の命は二の次です。

私たちも人に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。」と言うことはあります。しかしその答えが、「人の首」と言われてその通りにあげる人はいません。「何でもあげる」とは言っても、そこには当然、道徳的、倫理的な制限があります。それを指導するのが年長者の役割です。

ヘロデは二つの過ちを犯しています。一つ目は、人に対して無条件の誓いを行うことです。私たち人間は罪人の指示に従うのではなく、神の御心に従う者です。二つ目は、列席者の手前を気にすることです。私たちは人の目に喜ばれることをするのではなく、神の目に喜ばれることをする者です。

ここに罪を犯す人の特徴が表れます。過ちを犯してそれを悔い改めないと罪を上塗りして行くことになります。12、13節にありましたように、悔い改めないと悪霊によって罪に導かれて行きます。ヤコブ1:15は「要望がはらんで罪を産み、罪が熟して死を生みます。」と言います。

ヘロデの自分が誓ったことを果たしたい、列席者の手前、良く見られたいという欲望が、殺人の願いを受け入れるという罪を生みます。その罪はヨハネの死を生み出すことになります。

4、その後
ヘロデはこの後にどうなったのでしょうか。聖書には書かれていませんが、ユダヤ古代史にその後のことが書かれていますので、少し紹介します。まずヘロデに離婚された初めの奥さんのお父さんであるアラビヤの王アレタスは激怒しました。自分の娘が何も落ち度が無いのに離婚されて恥を掻かされたのですから当然です。

お父さんは軍を挙げてヘロデを攻撃して手痛い損害を与えました。ヘロデはローマ軍によってかろうじて助けられました。そして「ヘロデ軍の敗北は神が与えたもので、洗礼者ヨハネに対して行った罪に対する罰であると考えている人がいる」と書かれています。

また女王になりたいと思っていたヘロディアはヘロデをせかして、ローマ皇帝から王の称号を得て、自分も女王になろうとしました。しかしヘロデは策略にはめられて領地と財産を没収されました。そしてガリアという地に追放されて、そこで一生を終えました。

ヘロデとヘロディアはこの世で自分たちのしたことの報いを受けることになりました。例えこの世で報いを受けなかったとしても、世の終わりには必ず裁きを受けることになります。私たちは誰の目を心に留めて生きて行くかによって、生き方は全く違う方向に進んで行き、行き先も変わります。

5、ヨハネ
ヨハネの人生を、この世的な価値観だけで見ますと、全く良いことはありません。ヨハネはおよそ33歳位で正しいことをして殺され、結婚をすることも家庭を持つこともありませんでした。しかし、ヨハネはこの世のことは全く見ていません。神の目に正しい聖なる人として、御心を行うことだけを考えて自分の役割を果たしました。

そのようなヨハネについて主イエスは、「およそ女から生まれた者のうち、ヨハネよりも偉大な者はいない」(ルカ7:28)と言われます。今でもヨハネにあやかって、ヨハネ(英語名John)は世界で人気の男の名前ランキングで5位だそうです。

12人が遣わされる記事の後にヨハネのことが書かれていることは象徴的です。それは主イエスの弟子は皆、ヨハネのように御心に従う生き方をして行くということです。実際、先駆者ヨハネに続かれる主イエスも同じ道を歩まれ、それは受難と死の道です。

12人の弟子もヨハネによる福音書を書いたヨハネを除いて全員、殉教をしたと言われます。殉教することを美化するつもりはありませんし、主イエスを信じるクリスチャンの全員が殉教する訳ではありません。そのように導かれる人だけです。

しかし私たちは主イエスの十字架により贖われる者として、聖霊の導きに従って、ヨハネのように正しい聖なる人として、自分に与えられる役割を果たさせていただきたいと思います。ただ正しいことをすると言いましても、何でもかんでも無意味に対立をする必要はありません。主に知恵をいただいて、賢く正義を実現させていただきましょう。

6、祈り
ご在天なる父なる神様、御名を崇めます。ヨハネは人を恐れず、正しい聖なる人として御心を語り続け、この世を去りました。この世では同じように、なぜこのような良い人が不条理な苦しみに遭うのだろうかと感じることもあります。

しかしこの世がすべてではなく、あなたはこの世の行いに対して豊かに報いてくださいます。私たちがこの世のことだけに囚われずに、聖霊の導きによって、ヨハネのように正しい聖なる人として歩めますようお導きください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。