「サーカス的な生活を離れる」

野田信行

教会図書にある「修養する生活」(スーザン・S/フィリップス著)の序章「サーカス的な生活を離れる」を読み、とても考えさせられました。私たちはテレビやインターネット等を通して色々な映像を見て時間を過ごします。著者はそのことが信仰者の生活にも多くの影響を与えていると言います。

著者は現代の文化をサーカス的な生活と呼びます。サーカスでは、普通の人には出来ない、高い所でブランコをしたり、火の燃え盛る輪の中を猛獣を潜らせたりさせます。サーカスを演じるのは少数の人たちで、多くの人たちは観客としてそれを眺めています。

私たちはサーカスその物をすることは出来ませんが、似たようなことをします。毎日、色々な予定を詰め込んで正に綱渡りのような生活をすることによって、丸で自分がサーカスの演者になったように演じ、それを他の人に話して、驚いて聞いて貰うことに喜びを覚えます。しかし同じようなことをしていますと、演者も聞き手も飽きてしまいますので、より強い刺激のある演目を行う必要が出て来ます。

聖書の中にもサーカス的な記事はあります。出エジプト記14章には、エジプトを脱出したイスラエルをエジプト軍が追って来た時に、紅海の水が分かれ、イスラエルは海の中の乾いた所を進んで行きました。それ自体は素晴らしい神の御業ですが、私たちの毎日の生活の中で、そのようなことが毎日起きる訳ではありません。

マルコ4:1~9に4つの土地に落ちた種のたとえがあります。二つ目の種は石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐに芽を出しましたが、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまいました。石の熱さでは芽は出しても、根を出し成長は出来ません。信仰生活を豊かにするために、色々なイベントや行事に参加することは大切です。しかしそれだけで信仰を深めて行くのは難しいでしょう。

四つ目の種が落ちた良い土地はただ何も障害物が無い所です。そこでは神が与えてくださる、恵みの水、太陽の光、栄養を感謝して静かに受け取ります。そして根を伸ばし、育って、三十倍、六十倍、百倍の実を結びます。

 現代のサーカス的な生活に惑わされずに、聖霊の導きの中で静まって神と向き合い、神の恵みによって着実に成長する者とさせていただきましょう。