「気をつけていなさい」

2026年1月25日礼拝式  
マルコによる福音書13章14~27節
     
主の御名を賛美します。

1、徴を悟る
今日の聖書個所は、4節で4人の弟子が主イエスに、「神殿が崩れ落ちることは、いつ起こり、どんな徴があるのですか」と尋ねたことに対するお答えの続きです。前回、主イエスは「気をつけなさい」と2回(5、9節)言われ、今回も前半の段落の終わりに、「だから、気をつけていなさい」と言われますので、「気をつけている」べき内容です。

「荒廃をもたらす憎むべきものが、立ってはならない所に立つ」は、紀元前600年頃に活躍した預言者ダニエルの預言です(ダニエル9:27、11:31等)。この預言は、紀元前2世紀にシリアのアンティオコス・エピファネス王がユダヤを支配し、神殿にユダヤ人にとって汚れた動物である豚を祭壇に捧げたことにより成就しました。

ただ5~13節の徴の預言も、歴史上のある特定の1回の出来事だけを指すのではなく、同じような事が繰り返し何度も起こります。それは神殿に積み上がった石が、一つ残らず崩れ落ちる、この世の終わりである終末が確実に近付いて来ている徴です。

そのことを、「読者は悟れ」と言います。徴はそれ自体が何かであるというよりも、何かを指し示すものです。それで私たちは徴を見る時には、その徴が何を指し示すものであり、自分はどうしたら良いかを悟ることが大切です。

2、山に逃げなさい
終末の徴が現れたら私たちはどうしたら良いのでしょうか。気をつけている必要のある一つ目は、「その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい」です。紀元70年にローマ軍がユダヤを攻撃した時に、多くの人々は各地からエルサレムに集まって城壁の中に殺到しました。

それは神殿に逃げれば助かると言った偽預言者がいたからです。しかし神殿は2節で崩壊が預言されています。その結果、神殿に逃げた人たちはローマの兵量攻めにあって悲惨な結果を迎えました。しかしクリスチャンは、この御言葉に従ってユダヤにいる人々は山に逃げて難を逃れました。

山は何もないところです。山に逃げることは人や物に頼るのではなく、神だけに頼ることです。山はまた神に出会う場所です。モーセはシナイ山で神と語り合って、十戒を授けられました。今、主イエスがお話になられている場所もオリーブ山です。

私たちが行く場所は人や物に頼る町ではなくて、神に頼る山です。しかし山に逃げたくても私は足が悪いので山には逃げられないと思う方もおられるかもしれません。しかしここでいう山は場所というよりも、人や物に頼るのではなく、神に信頼することです。

「山に逃げなさい」にはそれに伴う禁止事項が3つあります。第一は、「屋上にいる者は下に降りてはならない」です。しかし「屋上から下に降りてはならず」、どのように「山に逃げる」のでしょうか。これは第二の、「家にある物を取り出そうとして中に入ってはならない」と合わせて読む必要があります。

第一の、「下に降りてはならず」は、第二の、「家の中に入るために」内階段を「下に降りてはならない」ということです。それは屋上に留まっているのではなく、外階段を使って山に逃げます。マタイ24:17は、はっきりと、「屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない」と言います。

第三は、「畑にいる者は、上着を取りに戻ってはならない」です。畑にいる労働者にとって、上着は寝る時に布団代わりになる唯一とも言えるような大切な財産で、畑にいる時は家に置いていますが、取りに戻ってはなりません。

私たちは財産や資産等の多くの大切なものを家に中に置いていると思います。現金、通帳や土地や家屋の権利書等の大切な物、その他にも記念の物等があるかもしれません。しかしいざという時には、この世のどんな大切な物でも心を奪われてはいけません。

私たちが求めるのは上の天にあるものであって、下のこの世にあるものではありません。「戻ってはならない」という言葉は直訳では「後ろに帰るな」です。この世でかつて大切だったものに、後戻りをするなという意味です。

私たちは下であるこの世のものや、この世で過去に大切だったものに心を奪われてはいけません。「宝は、天に積みなさい」(マタイ6:20)と主イエスは言われます。東日本大震災のこと等を思い返しますと、この後のこともそうですが、確かにこのように思います。

これは災害避難の方法というより、普段から何に心を向けて生きるのかということが問われます。それで、「山に逃げなさい、下に降りてはならない」ということは、初めから山の上に住んでいれば良いということではありません。

3、苦難の短縮
終末の徴が現れる時には、どのような困難が予想されるでしょうか。第一は、身重の女と乳飲み子を持つ女です。身重であることと乳飲み子をもつことは新しい命を与えられている祝福の一つですが、避難する時にはどうしても苦難になります。

第二は、このことが冬に起こることです。ユダヤの冬は雨期になって道がぬかるんで歩き難くなり、寒さも厳しくなります。東日本大震災の時も避難の様子を見て、建物の上等で濡れた体で雪の夜を過ごした方々等は寒さが本当に辛かったと思います。終末の時には、このようにならないようにと祈るのみです。

終末の日には、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来ます。これまでに大きな苦難を経験された方々は、それこそが一番大きな苦難であったと思います。戦争を経験された方や、各地の震災等で被災された方々はそれが一番大きな苦難であると思います。

しかし終末にはそれらよりももっと大きな苦難が来ると言われます。その苦難は具体的には黙示録に書かれています。主がその期間を縮めてくださらなければ、あまりの辛さに誰も耐え忍ぶことが出来なくなってしまいます。それでは誰一人救われません。

しかし主は愛のお方ですから、主がご自分のものとして選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださいました。選ばれた人は人種とか民族を指すものではありません。選ばれた人は主の愛に応える人です。主は主の愛に応える人を救うために独り子を十字架につけられて罪を赦されます。

この苦難の期間というのはいつの苦難の期間を指しているのでしょうか。狭い意味では終末の最後の苦難の期間を縮めてくださるという意味です。しかし広い意味では現代は終末の時代に入っています。「荒廃をもたらす憎むべきものが、立ってはならない所に立つ」ようなことは度々起こっているように思えます。

そして私たちは色々な苦難を通らされます。そしてあまりの苦難に躓きを覚える人もおられるかもしれません。しかし私たちを愛される主は私たちの状況を私たち自身よりもよくご存じです。そして私たちが躓かず、救われるようにと苦難の期間を縮めてくださいます。

しかし私たちは時に大きな苦難に遭って、もうこれ以上は耐えられないと感じる時もあります。しかし愛である神は、Ⅰコリント10:13で、「あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらない」とはっきりと約束してくださっています。

全能の神が私たちの限界を見極めてくださっています。そして、「試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道も備えてくださいます。」 ここの聖書箇所での、「のがれる道」とは苦難の期間を縮めてくださったことです。

4、偽メシア、偽預言者
主イエスはこの世の終わりの終末に再びこの世に来られる、再臨されると約束されました。その時、「見よ、ここにメシアがいる」「見よ、あそこだ」と言う者がいたら、ノン・クリスチャンだけではなくてクリスチャンも興味を持つと思います。若しかしますと、ノン・クリスチャンよりクリスチャンの方が興味を持つかも知れません。

しかし、信じてはなりません。偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとするからです。気をつけている必要のある二つ目は、偽メシア等に惑わされないことです。

怪しげな新興宗教等で、その教祖は学問的な学びはあまりしていないけれど、信者には高学歴等の賢いと思われる人が多くいることがあります。統一教会やオウムにも、信者には医者や弁護士等もいました。

その時に高学歴の優秀なはずの人たちが、どうしてあのような怪しい教祖に騙されてしまうのだろうかと良く言われます。洗脳等の色々な理由は考えられますが、もしかすると、しるしと不思議な業もあるのかも知れません。

出エジプト記7、8章でモーセを通して十の災いがエジプトに下されました。その時にエジプトの魔術師たちは、モーセに対抗してモーセと同じことをしました。十の災いの前に杖を大蛇に変え、1番目の災いのエジプトの水を血に変えることと、2番目の蛙をエジプトの地に這い上がらせることは魔術師たちも出来ました。

どういう方法を使ったのかは分かりません。しかし、3番目のぶよを出すところからは魔術師たちには出来なくなりました。人間は普通の人間の能力を超える力を持つように見える人を信じてしまいがちです。この人は神の遣いに違いないと。しかし、しるしや不思議な業を行う者が必ずしも神から遣わされているとは限りません。

偽メシアや偽預言者は選ばれた人たちであるクリスチャンをも惑わそうとするので気をつける必要があります。偽預言者は8節のように、民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がらせます。そして、クリスチャンに対しても敵対することを煽ります。

しかし私たちが惑わされないように、主イエスは一切のことを前もって言ってくださっています。それで私たちは、聖書を注意深く読み、祈り、聖霊の導きに従って、偽預言者を慎重に見極める必要があります。

5、再臨
終末には産みの苦しみである苦難があり、その後に、太陽が暗くなります。月は太陽の光を反射していますので、太陽が暗くなると月は光を放ちません。これは8節の飢饉と関わるかもしれません。星は天から落ち、天の諸力は揺り動かされます。

星が天から落ち、天の諸力が揺り動かされると引力も影響を受けて、8節の地震と関わるかも知れません。社会の秩序が乱れると共に自然の秩序も乱れます。暗くなった天には人の子である主イエスが大いなる力と栄光を帯びて、雲に乗って来るのを、人々は見ます。

主イエスが再臨される時は、このように誰の目にも明らかなものであり、一部の人にしか、来られたことが分からないような曖昧なものではありません。その時、人の子である主イエスは天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、選ばれた者を四方から呼び集めます。

主イエスが責任者として呼び集めてくださるのですから、私たちがするべきことはただひたすら待つことです。「見よ、ここにメシアがいる」と言う者がいても絶対に惑わされてはいけません。時々、東京等で有名な預言者が来日したというような怪しげな集会がキリスト教会を名乗る所でも行われていますが気をつける必要があります。

私たちの多くは、この世の終わりの終末の前に、この世での人生を終えることになると思います。その時にも主イエスは、天使たちを遣わし、私たちを呼び集められます。私たちは何も心配をすることなく、すべてを主イエスにお委ねするのみです。神を見上げて、神に信頼して、平安の中を歩む以上の人生の幸いはありません。神が呼び集めてくださるまで、神にある平安の中を歩ませていただきましょう。

6、祈り
ご在天なる父なる神様、御名を崇めます。主イエスは、この世は、終わりの終末に向かって様々な苦難があることを前もって言っておくので、気をつけていなさいと言われます。遣わされる聖霊によって苦難を耐え忍ぶと共に、恵みと祝福を感謝し生きる者とさせてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。