「滅びない御言葉」 

2026年2月1日礼拝式 
マルコによる福音書13章28~31節
     
主の御名を賛美します。

1、いちじくの木
13章は、1節で弟子たちが神殿の石や建物に見とれているのに対して、2節で主イエスは神殿の崩壊を預言されました。そこで4節で弟子たちは、「そのことはいつ起こり、どんな徴があるのですか」と尋ねました。主イエスは6~27節で、弟子たちの質問の二つ目の徴について説明と注意をされました。

今日の箇所は、質問の二つ目の徴から質問の一つ目の、いつ起こるのかに繋がって行く話です。主イエスは、「いちじくの木から、たとえを学びなさい」と言われます。主イエスは誰にでも良く分かるように、普段の生活からお話しをされます。たとえはとても面白いもので、色々なことを考えさせ、教えてくれます。このたとえは1節だけでとても短いですが、とても味わい深いものです。

いちじくは葡萄等と共にユダヤの名産品で、ユダヤ人を象徴する、アジア人にとっては米のようなものです。このたとえは、「枝が柔らかくなる、葉が出て来る、夏の近いことが分かる」の3つの部分からなります。この辺りのパレスチナでは常緑樹が多く、一年中緑です。

しかし、いちじくは例外で、冬には葉が落ちて、夏に向けて葉が出て来ます。葉が出て来るためには、枝が柔らかくなるというのは、とても教えられることです。葉は枝から出て来ますので、枝が柔らかくないと葉は出て来れません。

葉が出る頃の枝を、私は特に意識して触ったことがないので、良く知りませんが、柔らかいようです。葉が出る枝が柔らかいことは、いちじくに限らずに恐らくすべての植物について言えることでしょう。そしてこれは植物に限ったことではなく、これから葉が出て来るような成長するものは柔らかいということで、人間も同じです。

これから成長する赤ちゃんは柔らかいです。柔らかい人からは葉が出て来ます。しかしそれだからと言って、年をとると体が硬くなるので成長しないということではありません。これは体の柔らかさではなく、心の柔らかさです。

柔らかい心からは沢山の葉が出て来て成長して行きます。柔らかい人、家族や組織、教会からは新しい葉が出て来るものです。新しい葉が出て来ると、葉は二酸化炭素を吸収し、神の恵みによって太陽の光を十分に受けて、光合成を行って栄養を作ります。

そして豊かな実を結びます。それは夏に向けて成長して、実を結ぶ人、家族、組織、教会と言えます。また柔らかい枝はしなやかで風が吹いても折れないで、曲がっても元に戻ります。枝が柔らかくなり、葉が出て来ると、夏の近いことが分かります。

2、冬に向かう枝
逆に冬に向かっている枝はどのような状態でしょうか。それは夏に向かうのとは反対に、寒さを防ぐために硬くなります。しなやかさがありませんので風が吹くと折れてしまうかもしれません。またあまりの硬さに、そこに葉が出る余地がありません。

同じように硬直した硬い心には新しい葉が出てきません。万が一葉が出たとしても冬に向かっているので枯れてしまいます。葉が出ませんので光合成を行えません。栄養を作れずに実を結ぶこともありません。

冬に向かって枯れて行く枝です。それは実を結ばない人、グループ、組織、教会等でしょうか。これは年齢とは関係の無いことです。誰でも夏に向かう柔らかい枝でありたいと思います。どのようにしたらそのようになれるのでしょうか。

3、イスラエル
11:13に「実を結ばないいちじくの木」がありました。いちじくの木はユダヤの象徴です。ユダヤを象徴するいちじくの木は、「お前から実を食べる者がないように」と言われて枯れてしまいました。ところで現在のイスラエルという国は聖書的にはどのような位置付けにあるのでしょうか。

同じ信仰を持っていても、政治的な考え等は違うこともありますので微妙な話かも知れません。ただ聖書から見る現在のイスラエルという国はどのように考えられるのかをお話したいと思います。ユダヤ人の国は紀元70年にローマによる攻撃によって崩壊し、ユダヤ人は聖書の預言の通りに世界中に散らされました。

しかしローマ11:26に、「こうして全イスラエルが救われことになるのです」と預言されています。それで現在のイスラエルが1948年に建国されたことは聖書の預言の成就であると、ユダヤ人だけではなく、クリスチャンの中にも言って喜んでいる人はいます。

確かに失われた国が約1900年振りに復興して、使われなくなっていたへブル語も復活したことは奇跡的です。私もイスラエルに研修旅行で行って、聖書の舞台となった場所を見てとても感動しました。しかし現在のイスラエルは本当に聖書の預言の成就なのでしょうか。

今のイスラエルは第一次大戦中に、英国の外相バルフォアがユダヤ系の政治家ロスチャイルドに戦争で英国に協力すればイスラエルの建国を認めると言ったバルフォア宣言に基づくものです。したたかな英国はアラブにも同時に独立の約束をすると共に、英仏露では中東分割協定を結ぶと言う三枚舌外交をしていました。

イスラエルの建国は人間の欲に基づいた肉の業によるものです。確かに神は人間の罪をも用いられます。しかしイスラエルは現在も国際法を無視してパレスチナの土地にユダヤ人の入植地を拡大しています。マタイ5:8の、「平和を造る人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」の御言葉とは正反対です。

イスラエルにはパレスチナの人々と平和を造る姿勢が見えません。その姿は硬い枝であり葉は出て来ません。冬に向かっているようです。それでクリスチャンの中にも現在のイスラエルをとても残念に思っている人が多くいます。

しかしイスラエルはクリスチャンに自分たちの国を聖書の預言の成就と見てもらい支えてもらおうと企んでいるようです。ユダヤ人はクリスチャンが自分たちを選民と思って好意的に見てくれることを期待しています。私たちは聖書の預言の成就と、聖書の預言を利用した人間の業の違いを冷静に見極める必要があります。

私はイスラエルという国自体は好きです。しかし、自己中心的で強硬的、反聖書的な現在のイスラエルが聖書の預言の成就とは思えません。普通の人から見ると、クリスチャンがイスラエルを聖書の預言の成就として喜んで受け入れていれば、やはりクリスチャンというのも狂信的な宗教者で、恐ろしい人たちだと思われることでしょう。

パレスチナの人たちが住んでいた土地に、聖書の預言だからと言って勝手に占領して自分たちの領土を広げている現在のイスラエルを受け入れるということは普通の人には通じない理屈です。主イエスは、大切な戒めは、神を愛し、隣人を愛することと言われます。

現在のイスラエルに隣人を愛する姿は見られず、硬い枝のようです。しかしローマ11章のイスラエルの再興の預言によれば、その枝が柔らかくなり、葉が出て来るはずで、そのようになりますと、夏が近いことになります。

そのことからしますと、1948年のイスラエルの建国はイスラエルの再興の第一段階で、取り敢えず今は外側のかたちだけが整っただけの状態で、この後に第二段階として中身が整って、枝が柔らかくなるのかも知れません。

植物の種等は寒い冬を一度越さないときちんと目を出さないと言われます。これは人間も同じなのかも知れません。冬の寒さの中で頑なな硬い時期を一度過ごした後に、夏に向けて枝が柔らかくなって葉が出て来るようになるのでしょう。それにしても頑なな寒い冬は早く終って欲しいものです。

4、滅びない御言葉
「それと同じように、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい」と言われます。「これらのこと」は6~25節のことです。悟るということは、人の子が戸口に近づいたことをただ知るだけではなくて、それに必要な心の準備をし対応をすることです。

30、31節で、「これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない」と言われます。「滅びる」という言葉を3回使って強調されます。この中で滅びないものは主イエスの言葉である御言葉だけです。

御言葉は滅びないので、必ず実現します。6~27節の御言葉は、必ずことごとく起こります。30節の、「これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない」は裏を返しますと、「これらのことがみな起こったら、この時代は滅びなくはなくなる」ということです。

それを31節では簡単に一言で、「天地は滅びる」と言われます。この世では土地建物等は動かない不動の物であるという考えから不動産と呼びます。しかし天地は滅びるものであると主イエスははっきりと言われます。

5、御言葉を悟る
先程、私たちは夏に向かう柔らかい枝でありたいと言いました。どうしたら柔らかい枝になって、葉を出して実を結ぶことが出来るのでしょうか。マタイ13:23をお読みします。悟るとは29節にもありましたが素直に聞いて従うことです。

それは何があっても決して滅びない主イエス、神の御言葉を悟ることです。滅びない御言葉を悟る者は、柔らかい枝となり葉が出て来て実を結びます。御言葉は知識として知るだけではなく、実際に実行をして実を結ぶためのものです。

主イエスは私たちが実を結ぶために、身代わりとして十字架に付かれて罪を赦し、聖霊を遣わして導いてくださいます。私たちは自分が実を結ぶ体験を通して御言葉が真実であって、永遠の真理であることが分かります。

終末に向かう現代は増々、社会の秩序も、自然の秩序も乱れて行くこともあると思われます。そのような時にも惑わされないで、滅びない御言葉を聴いて悟り、恵みと祝福を受けながら柔らかい枝とならせていただきましょう。

6、祈り
ご在天なる父なる神様、御名を崇めます。この世では、日々、色々な事件や事故、争い等が起こり、それらのことに心を奪われてしまいがちです。しかし恵みによって神の子とされる私たちは、日々、神を見上げ、聖霊の働きによって滅びない御言葉を悟り、実行し祝福の道を歩ませてください。主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。