御言葉に聴き従う

2026年3月22 日第四主日 ♰ 日本ホーリネス教団連合礼拝
ルカによる福音書第5章1-11節 佐藤義則 教団委員長

1.神の言葉を聴こうとして 押し寄せてきた
群衆が神の言葉を聞こうとして 押し寄せて来たとき
イエスは ゲネサレト湖のほとりに立っておられた 1節
宣教の難しさを感じる。しかし、人は、神によって命の息が吹き入れられ、神のかたちに造られた。
堕罪以後、神のかたちは大きく損なわれたが、今日、誰の心にも、その片鱗は残存しており、
神がおられるならお会いしたい、神の言葉を聴きたいという心の叫びがある。

2.網を下ろしてみなさい
話し終わると シモンに
「沖へ漕ぎ出し 網を下ろして漁をしなさい」と言われた 4節
このイエスさまの言葉、漁師としてプライドを傷つけるものではなかったか。
徹夜して漁をし何も獲れず、失意のうちに網を洗っていた。再び漁をする気力も体力もない。
シモンは 「先生 私たちは夜通し働きましたが
     何も捕れませんでした」と答えた 5節
ペトロの精一杯の応答の言葉だった。

3.お言葉ですから 網を降ろしてみましょう
しかし お言葉ですから 網を降ろしてみましょう 5節
ところが、この言葉が続く。ペトロは、どんな気持ちで言ったのか?
(1)嫌々ながらに? (2)嬉々として? (3)無感覚、無感動に?
何故、ペトロはこのように言えて、その言葉に従い得たのか?

4.みことばと現実との間のギャップを埋めるもの
聖書に書かれていることと現実、毎週礼拝で語られるみ言葉と現実との間に、
しばしば大きな開き、ギャップかを感じていないでしょうか。
ペテロの場合、それを埋めたものは何か?
それは、ペトロの側にはない・・・イエスさまの側に、その原因・理由がある。
イエスさまの舟の上から語られた説教 イエスさまの発せられた声、そのまなざし、
その語られた言葉そのもの・・・、そこに、ペトロの心を振るえさせ、心を奮い立たせ、
従わないではおれない、そのように心を突き動かすものがあったのではないか。

5.網が破れそうになった — 御言葉信仰 御言葉経験 —
そして 漁師たちがそのとおりにすると
おびただしい魚がかかり 網が破れそうになった 6節
イエスさまの言われたとおりに、主のみ言葉に聴いて従った時に、おびただしい魚を網にかかり、
網が破れそうになった。今朝の説教題は、「御言葉に聴き従う」、私たちが、御言葉に聴きそれに
従う時に、そこに神のみわざがなされる。
雨や雪は、天から降れば天に戻ることなく 必ず地を潤し、ものを生えさせ、
芽を出させ 種をまく者に種を、食べる者に糧を与える。
そのように、私の口から出る私の言葉も 空しく私のもとに戻ることはない。
必ず、私の望むことをなし 私が託したことを成し遂げる。イザヤ書55:10-11
「御言葉信仰」 「御言葉経験(体験)」
主の生きた語りかけを聴く ➡ 御言葉に従う ➡ 神のみわざを拝する
                    — 神の御言葉の真実を体験する —
この信仰は、私たちの教団の創立以来、車田秋次先生から、小林和夫先生はじめ同時代の先生方
に継承され、今日の私たちに受け継がれてきた信仰。
私たちの信仰は、全人格的な神への応答。人格は、しばしば知・情・意であると定義される。
信仰は、知的に情緒的に意志的に応答することであるが、キリスト教信仰のもっとも特徴的なことは、
神に従うという意志的応答。信仰の成長は、この御言葉経験によってもたらされる。
御言葉の経験(体験)をする。それはちょうど竹の節のようになって、私たちを、主イエス・キリストの
御姿に向けて、まっすぐに成長を遂げさせ、主の御姿に変えられてゆく。それが、私たちが信じ、
大切にしてきた聖化、ホーリネスの恵み。