今は恵みの時
安井 光牧師
神の恵みをいたずらに受けてはならない。
神はこう言われる、
『わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、
救の日にあなたを助けた』。
見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である
– コリント人への第2の手紙6章1~2節 –
今年も夏から秋かけて、全国各地でキャンプや聖会が行われます。主は、それらの機会を「恵みの時」として、また「救の日」としておられるのではないでしょうか。
私自身、信仰生涯を振り返ると、キャンプをとおして、また聖会をとおして、神の救いと恵みにあずかってきたことを思い起します。特にバイブルキャンプをとおして、幼少期から青年期に至るまで信仰の養いを受けました。
私の出身の四国教区では、四国山脈の麓(愛媛県西条市)に教区所有のキャンプ場がありました。思い出のいっぱい詰まったキャンプ場です。(残念ですが、数年前、老朽化と衛生上の問題で処分されました)
私は20回を超えるバイブルキャンプに参加しましたが、小学6年生の時に参加したキャンプでイエス様を救い主として受け入れ、その年のクリスマスに洗礼を受けました。また聖書学院に入学する前の年の青年キャンプでは、キャンプリーダーをさせていただく恵みにあずかりました。私にとっては、毎年行われるキャンプが信仰の一里塚となっていたことを今思います。
聖会もそうですが、皆さんの中にもそのようなご経験をなさって来られた方がおられるのではないでしょうか。あるいは教会で行われた伝道集会、ホールや公会堂などで行われた大会などもあるかもしれません。それは、主がお一人おひとりにとっての、「恵みの時」「救いの日」として備えて下さった機会ではなかったでしょうか。
もちろん、そのような特別な機会だけではないでしょう。普段の礼拝にしても、諸種の集会にしても、主が恵みの時、救いの日として私たちを導いて下さっておられます。一つひとつの恵みの機会を逃さないようにしたいものです。
誰もがキャンプに参加できるわけではありませんし、みんなが聖会に参加できるわけではありません。祈祷会やその他の集会にしてもそうかもしれません。
でも参加できるチャンスがあるのに、他を優先させてしまうとしたら、とても残念な気がします。主が時を備えて下さるなら、主の恵みを求めて参加させていただくことができればと願います。主がそこで私たちを取り扱って下さり、かけがえのない恵みの経験をさせて下さるのです。
「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である」
…と、主は言われます。時を逃さず、神が賜わる恵みを慕い求め、主の恵みと救いに豊かにあずからせていただきましょう。
2013年7月号