特別集会を前にして

山脇 望 牧師

<刈り入れ>
 庭の木に小鳥のために餌受けを置いている。朝、庭に出て行くと待ちかまえているように雀たちが「チュンチュン」と餌を催促するように群がり集まってくる。
 ところが、秋になり、稲の刈り入れの季節になると、パタリと来なくなってしまった。黄金色に色づいた稲が広がっているからである。餌があふれている。
 でも、刈り入れが終わり、稲が運びさられてしまったあと、そこにあるのは切りきざまれた穂ばかり。雀たちはまた私の働きを察して近づいてくる。おもしろい。

<不景気>
 マスコミは「景気はよくない」と、盛んに報道し、政治家はそれからの脱皮をはからんと懸命に政策をねり、企業はリストラという名目のもとに人員を整理し、働きを軽くしようと真剣だ。
 今日、一人に一台の車が常識のようになってきているの時、駐車場に車が並んで、それでいて不景気とは…。景気が良いとか悪いとか、それは金が流れるのが良いか悪いか、ということである。
 人の気持ちは、飽食状態にあるのではないだろうか。食べたいと思うものがないほど、いっぱいだ。

<リバイバル>
 キリスト教の歴史を振り返ってみるとき、リバイバル(信仰復興)の働きが盛んに行われたのは、社会的に経済的に混乱してしまった時である。人々の心が外面のものによっては満たされないことを知り、内面的なもの、すなわち、神の恵みを求めていった。
 その意味においては、日本にしても少し経済的に混乱した方が好ましい。企業に勤めている方々のご非難を浴びる事であるが、ほんとうにそう思う。
 主イエスのたとえ話の中に放蕩息子の話があるが、父のもとを離れ、自分の能力、所有、機会に信頼して生きてきた息子が、豚が食べるいなご豆にて腹を満たしたいと思うほどになってしまう。その時は、「本心に立ち帰って」と、本来の自分になるのである。

<教会の働き>
 教会の働きは、いつ息子が帰ってきてもよいように、心の備えをなし、満足を与えることができるように備えていることだ。
 秋の特別集会が近づいてきた。どれほどの人が心を向けて下さるかわからない。 でも、真の満足はここにあることを、力強く語り、人々が近づくことができますように奉仕していこう。主イエス以外に、魂に満足を与える方はいないのであるから。

2001年9月号