◆アドベントを迎えて

山脇正子副牧師

 今年も、11月29日からアドベント(降誕節)の週を迎えました。

愛する兄姉が、みどり、枝、実などを用意してくださり、多くの方が、時間をささげてひとつひとつ心をこめて手作りで飾りの土台を作り、オーナメントをつけていきました。リース、アドベントクランツ、ツリー、牧場、窓飾り、それぞれにドラマを思い浮かべることのできる、デザインで・・・。

他愛もない一本一本の小さなみどり。枯れている1枝が、愛する兄姉の手にあってかたちになり、アドベントに入る前に準備されて、クリスマス礼拝を迎えられるのです。

先日、千葉教区女性教職の交わりのときがありました。午後は『若い牧師・教会リーダーのための14章』(ジョン・M・ドレッシャー著)“奉仕の働きへと会員・一人ひとりを導き整えるよう努力したい”というテーマを読み、話しあいました。

ドレッシャーは「クリスチャンすべての方は、神より賜物を与えられている。教会員の賜物を発掘し、整え、神の国の働きのために用いることができるように、あらゆる機会に励ましを与えることができるものとなることである」と。

 即ち、エペソ4:12~16に語られているように一人ひとりを整えて、キリストに働いたものとして成長するため、助力し、霊的識別力をもつようにし、キリストのからだとして、一致と成長と愛をそれぞれ建てあげるようにすること。教会員がキリストの召しの重要性を認識する時、神より与えられている賜物を、キリストのからだを建てあげるために、責任をもって用いるようになる、と。

もちろん神から与えられている賜物理解が何かは大切なこと、とその場で語られました。タラント的な賜物も賜物ですが、それだけが賜物と理解されやすい教会の中で、神より与えられている賜物は目に見えるものだけではないことを確認いたしたことでした。

飾りつけの朝、庭いっぱいに広げられる大きな木、枝、実・・・。2階の多目的室の押入れから出される20個ほどの段ボール箱、そして今年用意された装飾材料、そのひとつひとつに愛する兄姉が、手をかける時、主イエスさまのご降誕を待つ、飾りつけができるのです。私たちもキリストのからだなる内なる教会を建てあげるどこかに用いられるものでありたいと願うものです。

2003年12月号