◆主にお会いしたマリア

山脇正子副牧師

 イエス・キリストが十字架にかかり、墓に葬られました。全世界のすべての人の罪をあがないの業をなし終えて…。アリマタヤのヨセフは、誰も葬られたことのない新しい墓を提供し、夜、人目を避けて、イエスのもとに来たニコデモは、香料、亜麻布をたむけました。

週のはじめの朝早く、多く赦されたからこそ、多く愛したマグダラのマリヤが、墓に行きました。封印されているはずの墓の石が、動かされていることに仰天。よみがえりのキリストに、最初めぐりあう特権、このマリヤが与えられました。伝達を受けたペテロとヨハネは、墓が、からっぽであることは確認しましたが、帰ってしまいました。急を知らせ、再び墓に帰ってきたマリヤは、そこに、立って泣いていました。み使いとのやり取りの中で、後ろを振り向いたとき、そこにイエスが、立っておられるのを見ました。マリヤが、イエスであることに気づかなかったのです。目は、涙でくもっていました。孤独、悲しみ、損失、荒廃のゆえに…。

しかし、「マリヤよ」とイエスに呼ばれ、「ラボニ(先生)」と答えました。いまだ、イエスを認めることができなかった時は、墓にむき、イエスに背をむけているときでした。「ふり返る」そこにイエスは、声をかけ、立っていてくださったのでした。マリヤは弟子たちに、「わたしは主にお会いしました」と語りました。これが、福音宣教即ち証なのだと…。パウロにも、私は十字架と復活の証人と自負しました。それは、「復活の主におあいした」からなのです。今年4月20日に、イースター礼拝を守ることになります。

2003年4月号