◆みことばと共に

山脇正子副牧師

 幼い時、学校から帰って来ると、母のひざの上に詩篇付の新約聖書がありました。中学校の頃は、朝早く祈りにいったのでしょう。ゴムシートとさぶとん、聖書をかかえて玄関を入ってくる姿を見たものでした。私が、成人した後は、朝、ふとんの上で聖書を開いて読み、祈っていました。母は、その頃、体がずいぶん弱っていたのだと、今は思います。

 57歳で天に帰る前、5月6月と入院いたしました。父、私たち兄弟姉妹は、この入院が最後になるとは思いませんでした。母は時々、入院していましたから…。この2カ月は今から思えば、神様からのプレゼントでした。母も家族も親族も一日一日をとても大切に過ごすことができました。24時間誰かがそばにと、9人のメンバーでローテーションをくんで…。長女が1歳7ヵ月、やっと歩けるようになった頃で、月曜日から金曜日にまで、茨城から東京にかよって看護することができました。

 その中で「今日は詩篇23篇、今日は詩篇84編、…62編、…46編…を読んでちょうだい」と、それは、若い時、生涯学ぶべき書物は、聖書と決断した母に、ふさわしい姿でした。2回目の術後、麻酔からさめないまま、別れをつげることもなく天に帰ってしましました。でも、入院中たえず「私はしあわせよ、しあわせよ…」と笑みをたたえ、手術の直前には「みんな心配しているの?お母さんはちっとも心配していないのよ…」ということばを残して…。

 教会に置いていただいて42年。私もみなさまも、聖書に親しみ、向かい合うことができたらどんなによいかしらと思い、色々な角度から光をあて、ときあかしのチャンスを用いさせていただきました。礼拝の講壇担当は、めったにありませんが、聖書人物、一書一回メッセージ、一書の全体の講解説教、一書の奇跡だけ…をとりあげ、その時その時、四苦八苦しながら…。

 なかでも婦人会、家庭集会の方々との学びができましたことは、とてもさいわいでした。「聖書の女性」は、よい光を頂きました1991年から、マリア会が、1996年からはナオミ会が、「聖書概論」を学びはじめたことは一書全体ならず、聖書全体が語る、歴史をにぎる父なる神、子なる神、聖霊なる神に出会うチャンスになりました。マリア会は5月テモテ第二の手紙まで学び、あと数年でヨハネ黙示録が終わることでしょう。ナオミ会は来年には旧約が終わり、新約に入ることができるでしょう。一章ずつコツコツとしてきたルデヤ会は、いよいよヨハネ黙示録に突入です。聖書に語られる楽しさを、いっぱい味わいながらクリスチャン生活を送ることができたらなんとさいわいなことでしょう。

 しかも、今年は教育部の計画で、みなさまの手で「聖書を読む会」のグループの発足、何よりもすてきなことです。教会のからだなる成長を見せられている思いです。

「あなたのみ言葉は、いかにわがあごに甘いのでしょう。蜜にまさって、わが口にあまいのです。」

詩篇119:103

2003年6月号