勝利者と共にある戦い

山脇望牧師

 二月。冬の寒さの中にありますが、新しい躍動の開始を待っているのは、植物だけではありません。

 若者たち、特に受験生にとりましては、最後の備えをなして“受験戦争”に勝利するようにと、格闘しております。希望する学校に入学を許可されますように、と。

 マークシートを塗りつぶしていく。いかに要領よく限られた時間中に作業を進めていくことができるか、その訓練を受けた人がうまくいく、というだけではないと思いますが、それぞれ真剣です。

 当選した国会の代議士が学歴を偽ったということで、問題になりましたが、「たかが学歴、されど学歴」の社会でありますから、それを得るための闘いは大変です。そして卒業しても、就職のための闘いが待っている……。

 イラク戦争に自衛隊が派遣されていく。社会の安定のため、国益のために法にかない、必要なことであると、危険がとり囲んでいるそこに送り出されていきました。

 鮮明に私の脳裡に残っているのは、大勢の人が日の丸の旗を振って兵士を見送っている光景です。3~4歳ぐらいの時です。それほど強烈な印象だったのです。

 戦いに行くのではないと弁明いたしましても、飛行機から装甲車が降ろされ、銃をもつ隊員がそこにおったのでは、まさに戦争の光景です。

 改めて、生きることは“戦い”なのだということを実感いたします。特別な人だけのことではありません。

 自分との戦い、人と人との戦い、「あなたがたは罪と取り組んで戦う時…」と、罪との戦い、「信仰の戦いをりっぱに戦いぬき…」と信仰の戦い、そして最後は死の闘いもあります。

まさに生きることは戦いです。

 けれども、これらの戦いには、「わたしはすでに世に勝っている」と、主イエスにあって勝利を与えられております戦いです。

 私たちはこの時、もう一度しっかりと勝利者なる主イエスを見上げ、従いつつ、戦いに臨んでいきましょう。

2004年2月号