笑う門には福きたる
山脇望牧師
4月、それは花の季節であると同時に、卒業、進学でもあります。新しい環境、新しい出会いの経験へと導かれていく事です。1冊の本を読んでいました。『仕事は楽しいかね?』という題がつけられ、とても興味ある内容です。職場にて働く者として、上司と同僚、そして部下との関わりのなかに自らをおき、歩みと働きを展開していきます。
この書の著者はアメリカ人であり、、
その国の企業が起業し、発展し、業績を上げていく有効な方法、内容、あり方のために益になることを願っておりますので、だいぶ内容が変ったといいましても、やはり年功序列的要素が温存されている日本にあって、必ずしもすべて適用されるとは限りません。しかし、相通ずるところも少なくありませんでしょう。
(笑いが響く所)
その中で特に心を惹かれました内容に、
「職場から笑い声が聞えてこなければ・・・」があります。
「廊下を歩いて何回笑い声が聞こえたかを数えるんだ」「1時間あたりの笑い声の回数を数えてみよ」などです。
教会の働きと企業のそれとは目的はちがいますけれども、そこがどのような内容をもっているかは、とても大切な事であると思います。有能、才能があり、有益な人材が集められる企業と、ただ主イエスを救い主として信じるものが受け入れられる教会との違いはあります。
しかし、そこに集められ、会話がなされるところに、どれほど健康的な笑い声が響いているかです。シーンと静まりかえり、ヒソヒソと小さな声が流れているだけだとしたら何かお墓の中におるみたいです。決して健全な状態ではありません。
確かにある人は、特別な課題を負い、心も重く暗くなり、涙が出る心境でしょう。そんな時、回りを笑い声が包んでいたとしたら、私のことを軽視していると受け止めるかもしれません。
しかし、それであったとしても、笑い声は大切です。ところが聖書は、あまり”笑い”を良く評価していない傾向にがあります。
「悲しみは笑いに勝る」 伝道の書7章3節
「笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ」ヤコブ4章9節 など・・・・
「あなたがた いま泣いている人たちは幸いだ。笑うようになるからである」
ルカ6章21節
神によって癒され、神によって与えられる笑いです。
教会は主イエスにあって、笑いの響く所でありますように。
笑う門に福来るです。
2006年4月号