「今」という時に生きる

山脇望牧師

「今の時を生かして用いなさい」 ― エペソ5章16節 ―

 「2月は逃げる」と言っていたと思いましたら、もう4月です。手帳を開いてみますと、それなりの働き、生活があり、体と心を注いできていることを実感いたします。

 この世の生活にありまして、すべての人は「時」の中で、それと密接な関わりの中にあります。“影”のようにつきまといます。

 学生にとっては、「入学の時」「卒業の時」「就職の時」となるでしょう。皆さんは、今の時をどのような時として過ごしておるでしょう。

 尊敬してやまない先生より、毎月週報が送られてきます。最近、その中に気付く事は、先生が65歳になられて定年となり、主任牧師から協力牧師になられることが記載されています。36年間、開拓当初からその教会にて働き、今日の教会へと形成してこられました。その教会を去るときが来た、ということの心境はどのような事でしょうか。言葉に表せない複雑な気持ちだと思います。

《今の時》

 すべての人に平等に与えられている「時」です。そして、それは「今の時」です。これにはなんの差別もありません。

 そして今の時の中にどのように生きるかが、これから近づいてくるところの将来の時の内容を決めていく事を知ります。

 聖書は、「今の時を生かして用いなさい」と語ります。生かして用いるということは、過去のそれでも将来のそれでもありません。若い人も老人の方も同じです。

 英語訳では、「making the most of every opportunity」とあります。「すべての機会を最大限に活用しなさい」となります。今の機会の最善を造る事によって、将来の時も最善になっていくということです。

 「Memento mori」(最後の時は隠れている)という言葉があります。最後の時、すなわち「死を迎える時」です。私たちは何よりも、この時に備えて、今の時を生かして用いる、最大限に活用することがもっとも大切です。それこそ賢い生き方でしょう。

 今年も桜の花を見る時となりました。

この時のために、桜の樹は寒い冬の間、黙々と備えてきました。

2007年4月号