向日葵(ひまわり)のように
山脇望牧師
「わたしは常に主をわたしの前に置く」 (詩篇16の8)
窓ぎわに一鉢のシクラメンが置かれています。ピンクの花二つ、ヒョコンと咲きました。蕾はあちらこちらに伸びてきて…と、なんとも自然に、不揃いの花たちです。
昨年いただいたそれが、咲き終わって外に出し、春、夏、秋…と、自然の中に芽を出し、陽にあたり、暑い風に吹かれてきたのです。葉を茂らせてきた秋になって部屋に入れました。その結果がこれなのです。
他の鉢に植えられているシクラメン、見事に花をいっせいに咲かせています。ビニールハウスの中で、咲く時期も葉も花も見事に管理されてきたのでしょう。特にクリスマス、お正月に咲くようにと、育てられてきたのです。まさに管理シクラメンというのでしょうか。
新年を迎えました私たちです。ビニールハウスのシクラメンのように置かれることはありません。それぞれ独自の場所に、独自の生活内容があるでしょう。それぞれ大変個性的なのです。
それでありましても、みな同じ太陽の光と熱を浴びるように、水を注いでもらうように、私たちは神の恵みをいっぱいに浴び、神の命のみ言葉によって生かされ、育てられていくことです。
わたし達日本の国にあって、北欧のように、朝出勤し、夕方5時頃には帰宅して夕食を家族そろっていただく、という生活スタイルが定着している人を見出すことは容易ではないでしょう。
その中で、どれほど心を神に向けていくかです。どれほど神の言葉によって知らされ、整えていくことが出来るかです。
向日葵が太陽の方向に向けていくことができるように、私たちの心が神に向け続けていきますように。
それなしに命にあふれた力強い生活、成長、働きはできません。少しの事でぐらつき、弱り、倒れてしまいます。
不揃いのシクラメン、管理された美しさはありませんが、他のものが終わってもしっかりと咲いてくれるのです。長く楽しませてくれるのです。
ダビデ王は、何を誰を自分の前に置くよりも、神ご自身を前に置きました。神に向けておりました。動かされることはありませんでした。
2008年1月号