すべての人に好意を持たれる
野田 信行牧師
5月も終わりに近づき、暑さを覚え夏の到来を予感する季節となりました。茂原教会に任命を頂き、早2ケ月が過ぎようとしています。
現在は、どのように教会に仕え、伝道をしたらよいのか、使徒行伝の御言葉より御声を聞かせて頂いています。
そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、
家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、
食事を共にし、神をさんびし、
すべての人に好意を持たれていた。そして主は、
救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。
– 使徒行伝2:46~47 –
私たちは「主が救われる者を日々仲間に加えて下さる」ことを願い、そのために伝道を行うことを考えています。しかし、この聖書箇所は信仰者たちが「すべての人に好意を持たれていた」ので、「主は救われる者を加えて下さった」と語ります。
私たちに、救われる仲間が加えて頂くためには、まず私たちが人に好意を持たれる必要があるということです。好意を持たれていなければ、いくら伝道をしても話を聞いて貰えないからです。土が整えられていなければ、いくら御言葉の種を蒔いても上手く育たないでしょう。
クリスチャンは果たして「すべての人に好意を持たれている」でしょうか。宗教としてではなく、文化としてのキリスト教は受け入れられています。クリスマスの飾り付けやイベント、結婚式のスタイル、最近はイースターのグッズ等も盛んになって来ました。
しかし日本のクリスチャン人口は1%をなかなか超えることが出来ないばかりか、減少傾向にあります。これは単純にクリスチャンが好意を持たれていないということはないでしょうか。好意を持たれていれば、仲間に加わりたいと思う人たちが起されるはずではないでしょうか。
「人に好意を持たれる」というのは人に気遣い、迎合することではありません。「人に好意を持たれる」理由は、聖霊の賜物を受けて(2:38)、「日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、神をさんび」しているからです。
信仰者の心を一つにした生活は主が祝福して下さいます。そして人々は信仰者のこのような生活を知ると、信仰者の生活と人柄に好意を持ち、仲間に加わりたいという思いが与えられます。
私たちの主にある生活そのものが、証であり伝道です。聖霊の賜物を受け、日々心を一つにして、すべての人に好意を持たれる者とさせて頂きましょう。
2013年5月号