神をおそれる恵み

野田信行牧師

新しい年を迎えましたが、今年はどんな恵みを神が備えて下さっているか楽しみです。

助産婦たちは神をおそれたので、
神は彼女たちの家を栄えさせられた。
– 出エジプト記1:21 –

エジプトの王パロとエジプト人は、神に祝福され、ふえひろがるイスラエルの人々を恐れました。人間が神をおそれずに、人間を恐れるのは、そねみ、ねたみ、敵意など肉の働き(ガラテヤ5:19-21)です。肉の働きが罪を生み、罪が熟して死を生み出す(ヤコブ1:15)のです。

パロは助産婦にへブルの男の子を殺すように命令しました。しかし助産婦たちは、人の命は神がお与えになるものであり、神が与えた命を奪うことは神に逆らう行為であることから、神をおそれへブルの男の子を生かしておきました。

私たちの原則は「すべての人は、上に立つ権威に従うべきである」(ローマ13:1)。しかし、上に立つ権威の指示が明らかに神の御心に逆らい、それが取返しのつかない結果を招く場合には、私たちは人を恐れずに、神をおそれて神に従うべきです。

へブルの男の子殺害計画に対して、神をおそれて、信仰に従って行動をとった助産婦たちに神は恵みをほどこされました。

神はアブラハムに「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう」(創世記12:3)と約束されました。神を信じるクリスチャンを祝福する者を神は祝福し、クリスチャンをのろう者を神はのろわれます。たとえどんなことがあったとしても、クリスチャンである兄弟姉妹を、お互いに祝福し合いましょう。兄弟姉妹と呼ぶように私たちは教会という神の家の家族です。祝福し合うことが神の御心であり、それは私たち自身が神に祝福される秘訣です。

助産婦たちは神をおそれたので、神は彼女たちの家を栄えさせられました。神が祝福されるのは助産婦たち個人だけではなくて、助産婦たちの家に及びます。

 神をおそれることは、おびえて、窮屈で不自由な生き方をするのではありません。神をおそれないで、自分の欲に従って好き勝手な生活をすることの方が、罪の奴隷となり、それは返って自由のない不自由な生き方です。

 神をおそれるなら、聖霊の働きにより悪から離れ、罪から解放されます。そして助産婦たちのように正しい行いをしますので、そこには真の喜びがあります。この世の権威からも解放された、真の自由がそこにあります。

今年も神をおそれ、喜びに満ちた年とさせて頂きましょう。そして私たちの想像を遥かに超えた、神が用意されている大きな恵みを受け取らせて頂きましょう。

2014年1月号