良きおとずれを告げる者

安井光牧師

秋は伝道の季節(?)です。茂原教会においては、10月にチャリティーバザーが行われ、11月にはライフラインの集いが予定されています。これらの集会のために、チラシの戸別配布が行われ、教会ニュースの新聞折込がなされ、また一人ひとりの口をとおして案内がなされていることでしょう。私たちはそれらの伝道の働きによって、一人でも多くの人が主の御許に導かれるようにと願うものです。

ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は
– ローマ人への手紙10章15節 –

パウロは上記のように、イエス・キリストの福音を宣べ伝えることの素晴らしさを語っています。

良きおとずれを告げる」とは、イエス・キリストの勝利を告げ知らせることを意味しています。「良きおとずれ」「福音」(ユウアンゲリオン)という言葉は、初代教会の時代の頃は戦いの勝利の知らせを指して使われました。当時クリスチャンたちは、悪(サタン)と死の力が支配しているように思われた暗闇の世界にあって、「イエスは悪魔と死の力に勝利された」という良きおとずれを人々に告げ知らせたのです。そのように、私たちもキリストの勝利を・キリストによる勝利を告げ知らせたいと思います。

具体的には、証をすることをとおして良きおとずれを告げ知らせることができるのではないでしょうか。成功談を語る必要はありません。私たちは証をしようとする時に、自慢話になったり苦労話になってしまうことがあります。キリストの素晴らしさでなく自分の素晴らしさが、キリストの十字架の御苦しみでなく自分の苦しみだけが聞き手の心に残ってしまなわないように注意しなくてはなりません。いずれにしても大事なのは、私たちをとおしてキリストの勝利が、キリストによる救いが証しされることです。

自分は今抱えている問題に勝利が与えられていないから、証はできないという方もいるかもしれません。解決が与えられておらず勝利が与えられていなくても、その状況の中で神を信頼し、心に平安が与えられているならば、それは何より大きな勝利ではないでしょうか。キリストが勝利を与えて下さると信じて、キリストによって支えられ、キリストに希望を抱いて今歩んでいるとすれば、それは生きた証として、福音として聞き手に伝わると思うのです。

私たちがイエス・キリストを信じる信仰に導かれたのは、教会をとおして良きおとずれを伝え聞いたからではないでしょうか。御言葉を説き明かしてくれた伝道者がおり、キリストの勝利を証ししてくれた信仰者がきっとおられたことでしょう。主は茂原教会を、私たち一人ひとりを「良きおとずれを告げる者」として立てておられます。主の御業が成されることを期待しつつ、福音を宣べ伝えてまいりましょう。

2015年10月号