愛には偽りがない

安井 光牧師

「愛には偽りがあってはならない。
悪は憎み退け、
善には親しみ結び、兄弟の愛をもって互にいつくしみ、
進んで互に尊敬し合いなさい」
– ローマ人への手紙12章9節~10節

 「愛には偽りがあってはならない」と、パウロは私たち主にある兄弟姉妹たちに語っています。愛するということにおいて、私たちは偽ってはならないということ、演技やお芝居をしてはならないということです。真実な愛で愛すべきことを命じています。

 偽りのない愛、真実な愛とは、「悪は憎み退け、善には親しみ結」ぶと言われています。真実な愛は盲目的な愛ではありません。真実な愛は悪を憎み退けるのです。それは、悪(罪)のもたらす結果が悲惨だからです。

 もしも、愛する人が悪を行い滅びに向かって歩んでいるのに、どうなっても全然平気だと考えているとすれば、その人に対する愛は真実であるとは言えないでしょう。必死になって愛する人を悪から離れさせようとするでしょう。それが偽りのない真実な愛ではないでしょうか。

 真実な愛は、善に結び付きます。「親しみ結び」には、「のり付けする」「密着する」という意味があります。聖書では、結婚において夫婦が結ばれることを指して用いられる言葉です(マタイ19:5)。偽りのない愛は善と結び付いているのです。

 第一コリント書13章は、「愛の賛歌」として親しまれる箇所です。真実な愛とはいかなるものかということが示されています。真実な愛とは、寛容である、情け深い、妬まない、高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益をもとめない、苛立たない、恨みを抱かない、不義を喜ばず真理を喜ぶ、忍ぶ、信じる、望む、耐える。真実な愛は、これら一つ一つの事柄と結び付いているのです。

 パウロは、「兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合なさい」と、真実な愛をもって愛し合うことを私たちに勧めています。私たちは、ややもすると「愛は~である」と愛を観念的なものとして捉えてしまいますが、愛とは慈しむまた尊敬するという具体的な行動となって私たちの生活の中にあらわれてくると、パウロは教えています。

 私たちは、主にある神の家族であり、主にあって互いに兄弟姉妹とされています。ですから「~兄弟」「~姉妹」と呼び合うのです。口先だけでそう呼び合うのではなく、「兄弟の愛をもって」互いに愛し合い、互いに慈しみ、また尊敬し合うのです。

 今年度の教会の標語は、『神を愛し、隣り人を愛する教会』です。主イエスは、「わたしはあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい」(ヨハネ15:12・年度聖句)と言われます。主は私たち(私)を偽りのない愛をもって愛し、また私たちのことを尊んでおられます(イザヤ43:4)。そのことを心に覚えながら、神を愛し、隣人を愛し、互いに愛し合う歩みをさせていただきましょう。

2015年4月号