神の祝福に与る

野田 信行牧師

 主はイスラエルの人々に与えるカナンの地を探らせるために、各部族ごとにつかさ12人をつかわしました(民数記13:2)。そこは豊かに果実の実る地です。しかし帰ってきたつかさたちは、土地は乳と蜜の流れる地ですが、先住民を恐れて、エジプトへ帰ることを主張します。しかしカレブとヨシュアは主に従ってカナンに進むことを主張します。全く同じ場所で同じものを見ても、信仰によって全く正反対の判断となることがあります。私たちも様々なことに対して恐れを感じることはありますが、神の言に従って信仰の目を持って正しく見て判断させて頂きましょう。

 会衆は10人のつかさの意見に従おうとしたために、主のさばきによりカナンの地に入れないことになりました。カレブとヨシュアを除くその時に20歳以上の者がいなくなるまで、イスラエルの人々は荒野で彷徨うこととなりました。そこで自分たちの過ちに気付いたイスラエルの人々は、慌ててカナンに上って行きましたが、主が共におられなかったので敵の返り討ちに会ってしまいました(民数記14:45)。この世のことを恐れて主に従わない生き方は神の祝福を失うことになります。

 しかし荒野の40年は単なるさばきだけではなく、40年後にカナンの地に入るための準備の訓練の時でした。
カナンの地を探りに行った時にカレブは40歳でしたが(ヨシュア14:7)、カレブとヨシュアは忍耐強く、神の約束の時を待っていました。そして40年後にイスラエルの人々は神の約束通りにカナンの地に入りました。しかし約束の祝福の地は自動的に与えられるのではありません。神の導きの中で自分の足で踏んだ地だけが自分のものとなります。カレブは85歳の時に(ヨシュア14:10)、ヨシュアに土地の分配を求め、自らの足を運んで嗣業の地を得ました。

 神の祝福は私たちの想像を超えて大きなものであり、常識では測り難いことがありますので、信仰で受け止める必要があります。また神の祝福を受ける時は私たちの都合によるのではなく、神の時です。神の時に備えて準備し、忍耐強く待ち、神の時には大胆に足を運ぶ必要があります。神の大きな祝福を期待しつつ待ち望みましょう。
「おまえの足で踏んだ地は、かならず長くおまえと子孫との嗣業となるであろう。おまえが全くわが神、主に従ったからである」(ヨシュア14:10)。

2018年10月