心 配 性
野田 栄美
女性が子どもを産むと、感覚が変わると聞いたことがあります。私も子どもを産み育てている時に、自分が心配性になったなあと感じたことがありました。それもそのはずです。子どもを危険から守らねばなりませんので、事が起こらぬ先から、心配性を発揮して、事前準備をしなければなりません。
徳川家康も心配性の武将は念入りに戦の準備をするので手強いと言っていたと、読んだことがあります。心配をするというのは、危険を回避するために、とても大切な感情です。
けれども、ある時、心配をすること自体が、心の拠り所になってしまっていることに気が付きました。心配し続けないと悪いことが起こる感覚というのでしょうか。自分が心配することによって、将来が守られると信じていて、心配し続けなければ悪い方へいってしまうと、しがみつくような思いです。それを手放すことは、未開の地へ踏み出すように感じたのを覚えています。
主イエスは、このような言葉をおっしゃいました。「あなたがたのうちの誰が、思い煩ったからといって、寿命を僅かでも延ばすことができようか。」(マタイ6:27) 確かに、命を延ばすなど到底できることではありません。
続けて主イエスは、思い煩ってはならない。空の鳥をも神は心に留めて養ってくださっている。あなたがたにはなおさらであるとおっしゃいます。
思い煩うことで自分の身を守ろうと、不安を握りしめ続ける必要はありません。その手を解いて、神の前にお委ねして大丈夫です。心配という感情が心にある時は、神が「私のところへ心配ごとを持ってきなさい」と祈りに導かれている合図です。心配という感情を、どこへ持って行くかが、思い煩いか、平安かという違いを生みます。
先日、千葉教区の幼児から中学生を対象にしたバイブルキャンプが行われました。キャンプでは神の愛に包まれていることを感じることができる特別な時です。
私は中学生の時に参加したキャンプで神のために生きていきたいと決心しました。けれども、紆余曲折あり、その後約25年も神のために直接的な働きをすることはできませんでした。けれども、その私の拙い決心を神はずっと覚えていてくださいました。夫が牧師になるように導かれ、私もご奉仕する道が開かれました。神が私のことを忘れずにいてくださったことを知る幸せは、何ものにも代えがたいものです。
神はあなたのことを覚えておられます。思い煩いを手放して、心配を祈りに変えましょう。神の御業はあなたに平安を与えます。