「前に立ち 側に座って 後ろに立つ」
2022年10月30日 茂原キリスト教会 創立70周年記念礼拝
使徒言行録 8:26~40 山脇望師
茂原キリスト教会が、創立70周年を迎えられますこと、主のみ名を心から賛美いたします。救い主なる主の働きは、時を、人を、そして所を超えて変わることのない「姿勢」をもっています。それは、
「前に立つ」姿勢
ピリポは、「カイザルへ下る道へに出なさい」と言われ、荒れ野になったそこに立ちます。何のために、それは人がそこに来るからです。その人に向かって立ちます。
教会の働きは、人を待ち受けるところから始まります。だれが近づくかは知らないにしても、すべてはそのためにあります。会堂を備え、障害者用のトイレを備えるのも……、掃除をして、花を飾ることも……。諸手を広げて待ち受けると言ったら良いでしょう。
「側に座る」姿勢
カンダケの高官は近づき、その側に座ります。彼は、聖書のイザヤ書を読んでおり、その言わんとしていることが、いったい誰のことを言っているのか、解らないのです。
女王の高官、このような人は奴隷としてこの国に仕え、男性として去勢されてしまうことがあるとのことです。聖書の言葉が、「侮られ、忌み嫌われ、悲しみをになっている」と、あたかも自分のことのように思われる。
その人の側に、その人の思いを受け止めようと座ります。その中にあって、主イエスの癒やしを、回復を、そして救いの経験をして立ちあがります。
「後ろに立つ」姿勢
そして高官は、主イエスの救いのみわざに生かされて、「よろこびながら旅を続けます」ピリポは、彼の後ろに立ち、姿が見えなくなります。
後は、「信仰の導き手であり、その完成者であるイエスを仰ぎ見つつ」置かれたところで歩んでいるかを、主にあって心を注ぎ、祈りつつ見守るのです。
そして、必要に応じて側に行き、待ち受けます。
「おわりに」
天のみ国を目指している私たちです。復活の主は、御霊の働きにあって共にいます。どんな時にも、側にいまして教え、慰め、励まし、時には厳しく戒めます。その方と歩み、そこから右にも左にもそれることがありませんように。もちろん、後ろを振り向くロトの妻になることもありませんように。