あなたもぶどう園へ

2024年6月23日説教 
マタイによる福音書 20章1~16節                             亀田威牧師(大網キリスト教会)

 主イエスが語られたぶどう園のたとえ話では朝早くから働いた人も夕方5時から働いた人も同じように1デナリが支払われました。私たちは働いた時間に応じて報酬が支払われると思っています。ところが、主人は一日の終わりに管理人に対して「最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい」(8節)と話し、しかも、どの労働者にも同じように1デナリを賃銀として払いました。

 この主人に対して朝から働いた労働者は不平を言います。自分たちの方がたくさん働いたのだから、その分上乗せしてほしいと訴えました。不平を言った労働者たちの中にあったのは妬みでした。

このたとえ話で主人にたとえられているのは神、そして、労働者は私たちのことです。神様は私たちに最も大切なものを、その人の思いを超えて与えてくださるお方です。神様はこの箇所で私たちに「一日中、働くことが出来たものは、一日分の報酬である1デナリを貰えて当然だ。しかも、そういう約束で働いたのだ。わたしはその約束を果たしたのだ。でも、気付いてほしい。他にも失業者はいるのだ。ずっと誰からも声をかけられずにひたすらに待ち続けている者が市場にいるのだ」と言われました。主人である神にとって朝早くから働いている人も、そして、5時まで市場に立っていた人も同じように大切な存在でした。主人は何度も市場に足を運びます。まだ声をかけられていない人に「あなたもぶどう園へ」と声をかけるためです。「わたしのぶどう園では誰もが働く場所がある。ぶどう1房でもいい、運んでごらん。何も出来なければ一言祈るだけでもいい。そうしたら、わたしはあなたにも1デナリ払うことが出来る。だから、わたしのぶどう園へ来てほしい!という招きです。この1デナリとは神が与えてくださる永遠の命です。そして、この永遠の命を私たちに与えてくださるために主イエスは十字架にお架かりになられました。

 「このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」(16節)。私たちは神の愛によって後から来た人が先になることをも喜ぶ生き方へと招かれています。「さぁ、どうぞあなたから先に恵みを受け取ってください。あなたもキリストの恵みが必要なのです。だから、お先にどうぞ。」こう生きるように神は私たちを押し出してくださいます。「あなたもぶどう園へ」。この約束を今もう一度確かに受け入れたいと心から願います。