「成長する種」

2025年3月16日 礼拝式説教  
マルコによる福音書4章26~32節
        
主の御名を賛美します。

1、成長する種の持つもの
聖書の内容では先週から戻るかたちになり、神の国を種にたとえる内容です。主イエスはこの4章で神の国を、種を使ってのたとえで3つ語られます。一つ目は1~20節の種を蒔く人のたとえです。一つ目のたとえでは、種が4つの場所に蒔かれましたが、種はすべて同じ神の言葉です。

しかし、蒔かれる場所の土の状態によって、その結果が異なるものでした。4:1~34は中心構造になっていて、中心は23、24節の聞くということで、1~20節の種を蒔く人のたとえと今日の内容は対称になっている感じがします。

初めはたとえをそのままの話として聴かせていただきたいと思います。今日の一つ目のたとえでは、人が地に種を蒔き、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長します。私たちが種を蒔いても確かに同じようになります。この話を直接に聞いている人たちも同じように思ったことでしょう。

細かいことですが、「夜昼」という表現は順番が変わっているように感じます。日本では普通は昼夜の方が多いでしょうか。ただ普通は夜から始まることの多い場合には夜昼と言うようです。例えば、夜昼なしの酒宴等です。なぜここでは夜昼なのかと思いますが、聖書では創世記1章にありますように、日没である夜から一日が始まり、昼の終わる日没で一日が終わることによるようです。

これは一日は暗い夜から始まりますが、明るい昼で終わると考えますと良いイメージかと思います。
また「寝起き」ということから、一日は寝ることから始まるということです。少し妙な感じもしますが、昼の明るい時間に十分に働いて、日没で働きを終えて一日が終わるというと分かる気がします。

種は一度、地に蒔かれますと、人が夜に寝ていても昼に起きていても、そうこうしているうちに、芽を出して成長します。ここでは人が夜に寝ていて、人が何もしていないうちに種は成長する意味が強調されているのかも知れません。どうしてそうなるのか、その人は知りません。そのように言われてみますと、確かにそうかも知れません。

種を蒔くと成長をすることは、経験として知ってはいますが、どうしてそうなるのかと改めて問われると良くは分かりません。地はおのずから実を結ばせます。「おのずから」と訳されている原語のギリシャ語は、「アウトマテー」で、英語では、「オートマテイック」です。

「オートマテイック」といいますと私は宇多田ヒカルさんの歌を思い出します。曲の中では「オートマテイック」を自動的とも言っています。私たちに身近な「オートマテイック」といいますと車のオートマ(自動変速機)でしょうか。地は自動的に種を成長させて実を結ばせます。

今日の二つのたとえに共通しているテーマは種が成長することで、説教題であります、「成長する種」です。修養生の時にある集会に参加し、その時の講師が、「成長とは何か」ということを質問して、出席者が一人づつ答えて行きました。色々な答え方があると思いますし、実際色々な答えが出ました。

成長とは何かと問われましたら皆さんは何と答えられるでしょうか。その講師は、成長とは命のあることと言われました。とても聖書的な答えであると思います。命のあるものは必ず自動的に成長をします。神が種に与えてくださる命を信頼するなら、夜昼、私たちが寝起きして種に何も構わなくても、自動的に成長します。

この時に私はとても考えさせられました。私は人は何かをしない限り、今の状態は何も変わらず、ずっと同じ状況が続いて行くように感じていました。しかし命を与えられた神が必ず、その種に合ったスピードとタイミングで成長をさせてくださいます。

以前にSMAPが「世界に一つだけの花」という曲を歌っていましたが、私たちは自分も自分の家族も、少なくとも他の人と同じスピードとタイミングで成長して、同じような花を咲かせることをどこかで期待している部分があります。しかし一人一人は、神によって造られたユニークな存在です。他の種類の種の成長や花と比べることは意味がありません。

前にお話ししましたが、枇杷は実から取った種を水に漬けると直ぐに芽を出しますが、蜜柑等は暖かくなるまで待つ必要があるようです。また樹木によって成長する高さや実を結ぶようになる年月も違います。違う種類の種に同じ成長や花を期待するのはナンセンスです。

また早い成長を願いますと水や栄養を多く与えることを考えてしまいがちです。それも大切なことなのかも知れません。しかし、命を与え成長させてくださる神に信頼するなら、むしろ「種を蒔く人」のたとえにありました、成長を妨げる石や茨等の障害物を取り除いていただくことに集中した方が良いのかも知れません。

成長には段階があります。初めに茎、次に穂、それから穂には豊かな実ができます。成長の段階によって今はどのような状況にあるかを見極めることができます。実が熟すと、すぐに鎌を入れます、収穫の時が来たからです。熟し過ぎてしまいますと、食べ頃を逃してしまい、実が落ちて無駄になってしまいます。一つ目のたとえは成長する種の持つ永遠の命の力が強調されます。

2、からし種
二つ目は、からし種のたとえです。黒からしの種は本によって説明の違いが少しありますが、大体直径約1ミリ、重さ1ミリグラムで、白からしの種はほぼその2倍位のようです。からし種は厳密には、地上のどんな種よりも小さいものではありませんが、「からし種のような」というのは小さいことを表すユダヤ的な表現です。

主イエスはマタイ17:20では、「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と言えば、移るだろう。」と言われました。日本でも、「鶴は千年亀は万年」と言いますが、実際に千年や万年も生きる訳ではなく、鶴や亀は寿命がただ長いという意味です。

蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張ります。からし菜の高さは平均で1.5mですが、ガリラヤ湖の沿岸地域では3mになるものもあるそうです。二つ目のからし種のたとえは、成長する種が、初めはとても小さいですが、成長をするととても大きくなることが強調されます。

3、神の国の秘義
成長をする種のたとえが二つ語られましたが、これらは神の国のたとえです。神の国のどのような秘義がこれらのたとえで語られているのでしょうか。まず種は14節で神の言葉です。種である神の言葉は一つ目のたとえで強い永遠の命の力を持っています。

随分前に2千年前のハスの実からの発芽に成功したことがニュースになりました。同じ2千年前に語られた主イエスの御言葉はより強い永遠の命の力を持っています。旧約聖書の御言葉はそれよりもずっと古いものですが、同じ永遠の命を持つ強いものです。

大人になってから教会に通うようになって信仰を持つ方の中には、実は子どものときに教会学校に通っていたという方が結構おられます。子どものときに蒔かれた御言葉の種の命はその人の中で生き続けます。蒔かれた種がいつ芽を出すのかは分かりません。御言葉の力を信じて種を蒔き続けたいと思います。

神の言葉自体が強力な生命力を持っていることには、御言葉を語る人も驚かされることもあります。私自身も説教を語る中で、今日は余り上手く行かなかったと感じるようなときに、ある人にはとても深く響いているということを聞くことがあります。それは御言葉の持つ生命力によるものです。

それは御言葉を語ることである、種の蒔き方の上手い下手というようなことは関係ないということです。これは御言葉を語る者にとって大きな励ましと慰めです。御言葉の持つ生命力に信頼して、御言葉を皆で語りたいと思います。使徒パウロは、Ⅰコリント3:6で、「私が植え、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させてくださったのは神です。」と言います。

神の国とは神が支配されるところです。それは狭い範囲で考えますと、ある一人の人の中の神の国です。御言葉の種が蒔かれますと、芽を出し、茎、穂と成長して行き、おのずから豊かな実を結ばせます。しかし、「桃栗三年柿八年、梅はすいすい十三年」と言うらしいですので、じっくりと待つ必要があります。

その途中には冬のような成長が止まって見えるような時期もあるかも知れません。しかし完全に成長が止まってしまったり、茎や穂が枯れてしまうようなら、成長を妨げる石や茨が無いか確認をし、必要に応じて主に取り除いていただく必要があります。

これは信仰者の集まりである教会でも同じです。教会の成長は、神の言葉の命が教会に生きているかどうかで決まります。神の言葉の命を妨げる石や茨があるなら、教会の頭である主イエスが取り除かれることになります。

主イエスの福音の神の言葉は永遠の命によって、2千年を超えて生き続けています。生き続けるということは成長を続けることですので大きくなって行き、二つ目のたとえの内容に繋がって行きます。
主イエスがこの世に来られたことでもたらされた神の国はイスラエルのガリラヤ湖の周辺という田舎で、からし種のようにとても小さなものとして始まりました。それは注意して良く見て、聞かないと見過ごしてしまうかも知れないようなとても小さなものです。

初めて神の言葉を聞いて、その人の中で神の言葉の存在が大きく支配して神の国が始まる人もいるかも知れません。しかしある人は、神の言葉を聞いて、「ああそうなのかな」位にしか感じていないかも知れません。しかし神の言葉は、その人の中で成長して大きくなって行きます。そして、ある瞬間にその神の言葉に大きく影響を受ける時が来るかも知れません。

また私たちは誰でも年を取って行きます。高齢になって寝たきりになることもあるかも知れません。しかし神が支配され、それに従うクリスチャンがいるところは、それはどこでも立派な神の国です。この世的には小さなものかも知れませんが、決して見過ごしてはなりません。そしてその神の国は大きく成長して行きます。

ある一人の人がクリスチャンになることで、その親や兄弟姉妹、伴侶、子ども、孫、親戚、友人とクリスチャンが増えて行く場合もあります。2023年10月時点で、キリスト教は世界最大の宗教に成長し、クリスチャンは約23億人、全世界の約32%で、3人に1人はクリスチャンになっています。

「葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」というのは、エゼキエル31:6等で、神の国は、ユダヤ人も異邦人もすべての人を受け入れる世界的な広がりを持つ包容力の豊かなものになることを預言しています。

葉の陰に空の鳥が巣を作るというのは、住み家を求める人に場所を提供するように、求める人に保護を与えることです。悩みや苦しみのある人に慰めと希望を与えます。先に神の国の国民となる人は、他の人を神の国に招く役割が与えられます。自分だけが救われて永遠の命を得て幸せになれば良いのではありません。

他の人を招くためです。そのために主イエスは十字架に付かれました。そして神の国の秘義も授けられます。神の国の国民の伝道により神の国は増々、拡大して豊かな実ができて行きます。そして全世界で豊かな実ができて熟すときには収穫の時である終末を迎えることになります。

主イエスはいつ再び、この世に来られるかは誰にも分かりません。主の導きを求めて、焦ることなく、その人に合う最善の時に神の国の国民とさせていただきましょう。また既に神の国の国民とされている人たちは、主の導きを求め、神の国の成長のために用いていただきましょう。

4、祈り
ご在天なる父なる神様、御名を崇めます。種である神の言葉が蒔かれて造られる神の国は、永遠の命によって確実に成長し、初めは小さくとも大きく成長することを教えられました。私たちがこの世の突風や波に目を奪われず、神の言葉に信頼して、自動的に確実に成長をする神の国の国民として幸いな歩みをさせてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。