心で喜び、記念するクリスマス

山脇望牧師

「サンクスギビングデイ」これはアメリカの感謝祭の事です。日本に取り入れられて「勤労感謝の日」となりました。アメリカでは、この日には必ずターキー(七面鳥)を焼き、コーン、かぼちゃ…と、食べるものが決まっています。

なぜでしょう。

入植された当時を忘れる事の無いように、すなわちあの激しい自然との闘い、生きることの喜びと辛さを忘れることのないように、と当時食べられたそれらをいただくといいます。

「アドヴェント」を迎えました。飾り付けがなされた夜の街は美しい世界です。

クリスマス、それは救いの主イエスがお生まれになったことを記念し、お祝いいたします。これは時代は変わり、人が変わっても続けられていくでしょう。

 北欧にはじまったツリーの飾りつけの習慣も素晴らしい事ですが、日本の人々、その飾りつけの見事に感謝し、美味しいものを食べて飲んでひとときを過ごして…と、ただそれだけで終わってしまいそうです。

その中に語られているメッセージを取り入れることを、どれほど大切なこととして受け止めているのでしょう。「そんなことより、気分、雰囲気がよければ…」と。

 何よりも大切なこと、それは楽しい、美味しい、「きれい!」で終わらない事です。主イエスの出来事をしっかりと心に記念する事です。

そのことを見極めることができましたら幸いです。

 その意味に於いて、世俗のクリスマスにはほとんど主イエスの誕生の出来事は登場しませんで、光ばかりがまばゆく光っておりますが、教会だけはしっかりと主イエスの降誕を記念いたしましょう。人々の心に訴えていきましょう。

 イスラエルの民が荒野を旅していた時、マナを食べました。その時、「1つのつぼを取り、マナ1オメルをその中に入れ、それを主の前に置いて、子どものために備えなさい」(出エジプト記16:33)と命じられていました。

いつまでも、その荒野にての経験を、神よりのマナをもって守られてきたこと、生かされていたことを心に刻み込んでいることを求められました。

 今年も私たちは、目で、舌で味わうにまさって、心の中で味わうクリスマスでありますように。

2007年12月号