とめてはならない

          山脇望牧師

「幼子らをそのままにしておきなさい。

私のところにくるのをとめてはならない」

ー マタイ19章:14節 -

 「幼児祝福式」のときを迎えました。

生涯のそれぞれの節目に祝福を受ける事は、とてもすばらしいことです。幼児のみならず、成人、敬老・・と。

 幼児が主イエスより祝福していただくためにつれてこられました。どこに来るにまさって、主イエスのもとに来たのです。最も恵まれた経験をいたしました。これこそが大人が子供のためにしてあげられる最も素晴らしい事であり、祝福された出来事であります。これを十分に自覚することです。

 今は、子供たちをとりまいている環境は決して恵まれているとは思えません。道を歩いていても、身の危険を意識しなければならず、学校に入っても、「もしかしていじめられるのでは・・」と、神経を使わなければならず、自由に振舞い、のびのびと生活することが難しいのではないでしょうか。

 幼子たちをどこにみちびいているのでしょうか。「良い学校」「良い仕事」「良い生活」「良い・・」と、それらを目指して進んでいるのでしょう。そのためには、犠牲をおしまないという大人の姿勢です。時には、本来あるべき定められた履修科目を無視して授業を行い、終えていないのに、終えているかのように大学に提出する書類を作成し・・・と。それがどれほど、一人の人間として生きるためにマイナスになってしまうことであるかをわからないで行ってしまう。

 幼な子、子供は決して純粋、無邪気とはいえません。何と自己中心な振る舞いをすることでしょう。決して美しい心の持ち主ではありません。双児の赤ちゃんが一緒にお乳を飲んでいる光景を見ていると、飲みながら無意識なのでしょうか、相手を手で追い払おうとします。

 それだからこそ、主イエスは、「わたしのところに来るのをとめてはならない」と語られたのです。どこに行くよりも主イエスのところに来るのです。。それこそが最大の祝福であります。

 私達は、それぞれに託されている子供達をどこに導いているのか、真剣に考えましょう。少なくとも、主イエスの弟子たちが、「彼らをたしなめた」」とありますが、そのようなことはありませんように

2006年11月号