すばらしい神の作品
山脇望牧師
(尾瀬沼)
教区の教師研修会、ひたすら関越道路を車で走り、群馬県片品村のペンションにて開かれました。日頃、心と頭を使う事の多い牧師たち、時には体も使いましょうと、尾瀬の秋を見るというプログラムを入れました。予報に反して天候は最高に晴れ渡り、林をひたすら歩き、目の前の黄色に彩られた湿原が広がり、それを囲むように山々は、所々紅葉し、『美しい』と感動している私たちでした。その中でおにぎりを食べほのかに吹く風に体を休め、痛む足をいたわり・・と無心にそこに座り、歩いたと言う1日でした。人間の手は殆ど加えられない、尾瀬の自然に、天と地を創造された神様の御業を心から褒め称えるときでした。そこには限られた車しか近づけず、人間のわざが近づかない故の美しさがあるのです。
(富弘美術館へ)
そして、帰る途中新装された「富弘美術館」に立ち寄りました。その作品に富弘氏の人となりの一端を垣間見ることが出来ました。少年時代、闘病時代、今日の詩画をもって活躍している生活を知る事ができました。多くの作品が展示され、入館された人々は彼の才能と共に涙ぐましい努力の痕を留めている姿に感動しています。『私がこうなったらどうするだろう』と。その中から作り出されている一つ一つの作品であればこそ、それに幾倍もの感動を与えているのでしょう。
その美術館の中に1冊の聖書が置かれていました。ひとりの人、クリスチャンの先輩が富弘氏に贈られた聖書です。この聖書との出会いが今日の富弘氏に導く大きな働きをしている事を忘れる事はできない事を証しているように。
富弘氏のうちに働き、共に歩み、彼の人生を導いてきました。これがそのような歩みとなり、人生となり、作品となっているのです。もし、神様が彼の人生に共働することがなかったとしたら、今日の富弘氏はどうだったでしょう。深く考えさせられます。このような素晴らしい美術館が湖の側に美しく建てられているでしょうか。自然と人間、神様がそこみ共働されるところ、なんとすばらしい作品が生み出されていくことでしょう。「私たちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである」エペソ2章10節
2006年10月号