「クリスマス」  

2021年12月24日 キャンドル礼拝  

メリークリスマス。今年も残すところ後1週間となりましたが、皆さんにとってどのような1年だったでしょうか。去年の今頃はコロナウイルスの感染拡大で本当に有り得ないことの起こった1年だと思っていました。

コロナウイルスの影響で難しい状況にある方々に助けが与えられますようにお祈りしています。今年はコロナウイルスの影響が2年目になると何となく少し慣れて来たような感じもあります。大人にとっては今は非常事態と分かりますが、それでも慣れつつあります。

今、子どもの時代を過ごしている人は、これが普通の状態と感じるようになるのかもしれないと考えてしまいます。家の子どもたちを見ていると、コロナとは関係ないかもしれませんが、オンラインで友達とずっと繋ぎっぱなしにして会話をしながらゲームを楽しんでいます。

私が子どもの頃には考えられなかった世界で遊んでいます。またオミクロン株の感染者が増えていますので注意が必要で、その様な遊び方も必要なのかも知れません。

私の母は病院に入院していますが、コロナの感染予防として直接の面会は2年近く出来ていません。しかしラインによる面会が出来るので毎週のように面会を続けていて、有難い部分もあります。何となくそれが普通のようになって来ている感じでもあります。

コロナウイルスの感染拡大の前に、世界中で大きな課題の一つに都心の一極集中がありました。都心は人も情報も仕事も全てが集まって来て集中して行きます。その方が効率的なので集中して行く一方で、世界のどこでも同じ傾向でした。

いくら地方分散とか地方の活性化と言っても、掛け声だけで殆ど実行性がありませんでした。しかしバブルでもそうですが、行き過ぎたものは必ずどこかで崩れて行く時が来ます。都心の一極集中を止め得るものは何であるのかと個人的には興味を持っていましたが、それがコロナウイルスかも知れないとは誰も思っていなかったのではないでしょうか。

先程の聖書朗読の中に「光は闇の中で輝いている」とありました。この世は闇です。闇は暗くて見えないので、どちらに進んだら良いのか、今、進んでいる先に何があるのかが分かりませんので不安になります。

今日はクリスマスイブ、私たちの救い主イエス・キリストがお生まれになられた夜です。主イエスは闇の中にいる私たち人間を罪の闇から救い出して、光を照らして光の中を進む道を指示してくださいます。

10年前に東日本大震災がありました。その時にもキリスト教界だけではなくて、色々な所で議論されましたが、それは東日本大震災やコロナウイルスの感染拡大の中で、神はどこにおられ、どのように関わっておられるのかということです。

それはクリスチャンの信仰に関わることであり、私たちがそれをどのように表現するのかということに関わって来ます。今年、私も色々な所で「コロナ禍」という表現についてお話ししました。この言葉については、ホーリネス教団でも話題になりました。聞かれた方もおられると思いますが、全体ではお話していませんので少しお話します。

「コロナ禍」という言葉はコロナウイルスの感染拡大の状況下にあるということを短い言葉で、新聞の見出し等で表現するためにスポーツ新聞が使い始めたと言われます。「禍」というのは、ふしあわせ、災難という意味です。戦争による禍を戦禍と言ったりします。

「コロナ禍」という表現にはまずコロナウイルスの感染拡大は禍かどうかという問題があります。コロナウイルスの感染拡大により業績を上げている企業もあり、オンライン等により便利になったこともあります。

しかし世界でコロナウイルスの感染者が2億7千万人以上、死者が5百万人以上の被害が出て、生活に困っている人も多くいる状況は、全体的に見れば、明らかな、ふしあわせであり、災難であり、禍です。

次に、禍の漢字の意味を辿ると、禍という漢字は、「神のとがめ」という意味です。これは漢字の出来た、中国、日本等では禍は神のとがめ、裁きによるもの、つまり神からの罰が当たったというような考えに基づくのでしょう。しかし禍の漢字のいう神は聖書の神ではなくて、八百万の神でしょう。八百万の神はとがめる神であると。

聖書は、エレミヤ書29:11で神の計画は、「あなたがたに将来と希望を与える平和の計画であって、災いの計画ではない」とはっきりと言われます。主イエスはクリスマスにこの世に来られましたが、それは信じる者を救って、将来と希望を与える平和の計画のためです。

全ては全能の神の御手の中にありますが、禍は神が起こすものではありません。神は禍の中で苦しんでいる方と共におられ、共に苦しんで慰めてくださるお方です。そして信じる者のためには、禍さえも用いて万事を益としてくださるお方です。

日本で一般的に使われている「コロナ禍」の表現をクリスチャンが使うか使わないかは、仏式の葬儀でクリスチャンがお焼香をするかしないかと同じで、それぞれの判断で他人に強制するものではないでしょう。

コロナウイルスが今後どのようになって行くかは分かりません。しかし救い主イエスがクリスマスにお生まれになられました。そして暗闇の罪の中にいる私たち人間を救い出して、慰めを与えて、光によって進むべき道を示してくださいます。

クリスマスに、星がその誕生を東方の博士たちに知らせて、主イエスの元に導かれたように、神は現代の星である聖書を用いて私たちを主イエスの元に導いてくださいます。私たちは暗闇の中を歩く必要はありません。光である救い主イエス・キリストが与えられています。イエス・キリストを心にお迎えして、光輝く人生を歩ませていただきましょう。

祈り

神様、クリスマスに主イエスをこの世にお送りくださり有難う御座います。私たちが主イエスを信じて、例え何が起こっても動じることなく、神を見上げて信頼して、平安の道を歩む者とさせてください。今、再び感染が増えつつあるコロナウイルスが早く収束しますように。

また全ての人が主イエスに出会い、信じて、光の道を歩むことが出来ます様にお導きください。主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。