「安息日を守る」

2022年5月29日説教  
申命記 5章12~15節

        

主の御名を賛美します。アマゾン・プライムで放映している英国のBBCが作ったドラマの、「ブラウン神父」をご存じでしょうか。初めに見た時は1話目の初めの部分が余りにもどろどろとした内容で、一度は見るのを止めましたが、人気があるようで2012年から始まって、1シーズン10話の物が8シーズンになっているので、なぜそれ程に人気があるのだろうと思ってまた何となく見始めました。

神父が主人公のドラマは珍しいので何となく同業者として見ている部分もあります。毎回、大体は殺人事件があってブラウン神父が謎解きをするのですが、犯人逮捕に繋げるだけではなくて、犯人を悔い改めへと導きます。カトリックですので告解室があって、罪の告白をして悔い改めへと導くドラマの人気があるのは良いことだと思います。

1、安息日

先週の個所で十戒の初めの3つを聞きました。今日の4つ目は、説教題にあるように、安息日を守ることです。これまでの3つは、「~してはならない」という否定文でしたが、4つ目は、「安息日を守りなさい」という肯定文です。十戒は一つ一つが独立したものではなく、繋がりのあるものです。

エジプトの地、罪の奴隷から導き出された者は、一つ目の、「ほかに神々があってはならない。」 ほかに神があってはならないので、二つ目の、「いかなる像も造ってはならない。」 そして最大の偶像である自己中心、自己主張のために、三つ目の、「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。」のです。

そしてこれら3つの戒めを守るためにも、4つ目の、「安息日を守る」必要があります。ところで、安息日とは何でしょうか。1週間は7日から成って、安息日と他の六日です。まず他の、「六日間は働いて、あなたのすべての仕事をしなさい。」と言いますから、六日間は働いて仕事をする日です。

それに対して、「七日目はあなたの神、主の安息日であるから、どのような仕事もしてはならない。」日です。安息日は仕事をしなくても良い日ではなくて、してはならない日です。そして休息する日です。「安息」という言葉は、「休む、止める」という意味です。

十戒が初めに語られた出エジプト記20章でも、ここの個所でも安息日は休息の日と書いてあります。安息日は元々、休む日であるという意味を良く覚えておいてください。それは安息日の意味を誤解している人がクリスチャンでもいるからです。

安息日は創世記1章の六日間で神がこの世を造られて、創世記2:2で神が第七の日に休まれたことに基づきます。神のかたちに造られた人間は、創造者である神と同じリズムで生きるものです。

2、休息

聖書は誰にでも分かるように具体的に分かり易く説明をします。そこで安息日の具体的な例として、出エジプト記35:3で、「あなたがたの住まいのどこであっても、安息日に火をたいてはならない。」と説明します。なぜ火をたいてはならないかというと、当時、火をたいて行う仕事や家事が奴隷や女性の仕事だったからです。

そこで神は、安息日に休むのは当時の人数に数えられる成人男性だけではなくて、「あなたも、息子も娘も、男女の奴隷も」と言います。更にそれは神のかたちに造られた人間だけではなくて、「牛やろばなどのすべての家畜も、町の中にいるあなたの寄留者も同様である。」と神に造られた被造物はすべて仕事をしてはならないと言います。

奴隷を持っている主人が仕事をしたら、当然、奴隷も休めません。そこで、「そうすれば、男女の奴隷も、あなたと同じように休息できる。」と言います。現代には奴隷はいませんが、状況は似たようなもので、職場では上司が休まないと部下も休み難いものです。休むというのは本人のためだけではなくて、周りの人のためでもあります。

また「火をたいてはならない」のは、「火をたく」ことが火をたいて行う仕事や家事を表しているからです。しかしユダヤ教徒の一部の人は、「火をたいてはならない」という言葉だけに拘って、電気のスイッチをオン、オフにすると火花が飛ぶ可能性があって、それは「火をたいてはならない」に違反すると考えてしまいました。

そこでイスラエルの安息日のエレベーターはスイッチを押さなくて良いように、すべて各階止まりの自動運転になっていたりします。しかしもし安息日はどんな理由でもただ、「火をたいてはならない」のであれば、例えば冬の寒冷地でも、火をたいて暖房器具を付けられないことになります。

果たして、冬の寒冷地で火をたいて暖房器具を付けないで、ゆったりと休む、休息を取ることができるでしょうか。それでは休むどころではありません。火をたいてはならないというのは、火をたいて仕事をしてはならないという意味です。火をたかないために、寒くて全然休めなければ本末転倒です。

安息日についても自分がどう考えるかではなくて、聖書がどのように言っているかを、まず聞く必要があります。主イエスはマタイ12:8で、「人の子は安息日の主である」と言われ、続いて、自分の羊が安息日に穴に落ちたら引き上げる例を上げて、「安息日に善いことをするのは許されている。」と言われました。

初めにお話ししましたように、安息日の本来の目的は休むことです。休むために暖房器具が必要であれば火をたいても良いのは明らかです。また安息日を否定することは、安息日の主であると言われる主イエスを否定することになりますので、惑わされないよう注意が必要です。

欧米のキリスト教の国では冷凍食品が多くありますが、もしかすると安息日に料理をしないで家事を休むためのものかも知れません。冷凍食品を温かく美味しく食べるために、火をたいて温めることは御心に適うことは明らかです。冷凍食品を冷たいまま我慢して食べていたら、寛いで休めません。

私が30年前位に英国にいた時には、殆どの店は日曜日は当然休みで、土曜日も午後は休みですので不便に感じました。キリスト教徒ではないインド人等の経営の店は土日も開いているのでとても助かりました。3年間、英国にいましたが、その間にも少しずつ土日も営業をする店が出てきていました。

30年前位、日本の経済はバブルで絶好調でしたが、外国から日本は狡いとか、アンフェアだと言われました。当時、聖書の内容を知らない私は、「勤勉に働いて正々堂々と競争に勝っている日本のどこがアンフェアなのだ、日本に負けて悔しかったら自分たちももっと真面目に仕事をすれば良いではないか」と思っていました。

しかしキリスト教国の考えでは、仕事は決められた勤務時間内で行うものであって、日本のように勤務時間を超えて残業をしたり、安息日を無視して休日出勤をして仕事をすることは、働いて良いルールを破って長時間働いているのだから勝って当たり前だけど、それはルール違反をしているのだからアンフェアだと言っていることには後で気付きました。

六日間は働いて、七日目は休むのは日にち単位だけのことではありません。年単位でも安息年がありまして、レビ記25:3、4は、六年の間は畑に種を蒔き、ぶどう畑を剪定して収穫することができるが、七年目は安息で、畑に種を蒔いても、ぶどう畑を剪定してもならない、と言います。

この6働いて1休むというリズムが分かると、欧米のキリスト教の国々等で夏に一か月の夏休みを取る理由が分かります。1月から6月まで六か月間働いて1か月の夏休みです。これは安息月とも言えるでしょうか。そしてこの夏休みはフランス語ではバカンスと言いますが、何か活動をするのではなくて、リゾート等で本を読んだりしてゆったりと過ごします。

その目的が休むことだからです。そして冬にはクリスマス休暇があります。これは一日の単位で考えると6時間働いて1時間の休みで、それは昼休みでしょうか。安息時間と言えます。

3、聖別

茂原教会は今年70周年ですが、安息年ということから考えるとどのように過ごすのが相応しいでしょうか。レビ記25:10では、安息年を七回、つまり七年の七倍の49年の翌年の50年目はヨベルの年として聖別して解放を宣言する年でした。今年の70周年は安息年の10回目です。

安息には休むということと、もう一つの大切な役割があります。それは聖別することです。「聖別」とは分離するという意味で、聖でないものを分離して取り除くことです。「安息」という言葉はとても良い訳だと思います。安息日は、これを守って聖別して息(霊)を安らかにする日です。

安息日に行うことを、中心聖句である15節は、「あなたはエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神、主が、力強い手と伸ばした腕で、あなたをそこから導き出したことを思い出しなさい。」と言います。安息日は思い出す日です。何を思い出すのでしょうか。

安息日を含めて十戒は出エジプト記20章にも書かれていますが全く同じ内容ではなくて、強調点が少し違います。出エジプト記20:11は、「主は六日のうちに、天と地と海と、そこにあるすべてのものを造り、七日目に休息された。」と言い、神による天地創造が強調されます。

しかし申命記で思い出す一つ目のことは、まずあなたはエジプトの地で奴隷であったことです。エジプトの地での奴隷はイスラエルに歴史上に実際にあったことです。それは私たちにとっては罪の奴隷であったことです。自分はもう罪とは関係無いと思うのではなく、罪の奴隷状態がどれ程に大変なことかを思い出します。

そして今、そのような苦しい状態にある人に心から共感すると共に、救いの手助けを行う必要があります。また自分は罪の奴隷から導き出されたから罪の奴隷に戻ることはないという訳ではありません。エジプトから導き出されて荒れ野を彷徨っていたイスラエルは、困難に直面する度にエジプトを懐かしんで帰りたがりました。

そして安息日の思い出す二つ目のことは、「あなたの神、主が、力強い手と伸ばした腕で、あなたをそこから導き出した」ことです。私たちは自分たちの力で、罪の奴隷状態から抜け出たのではありません。主が恵みによって、力強い手で私たちを掴んでくださり、腕を私たちに伸ばして、罪から導き出してくださいました。

私たちは安息日に、罪の奴隷から恵みによって解放された者であり、そこには二度と戻らないという決意を新たにする必要があります。そのためには1週間を振り返って、悔い改めて、聖でないものを取り除く必要があります。これは毎週の礼拝で一人一人が行うと共に、教会全体としても行う必要があることです。

2週間前の総会で、私たちの総会資料の表題について、これまでは、「活動報告・活動計画」としていたものを、「事業報告・事業計画」と活動ではなくて事業に変更することにしました。これは教会規則に基づいてですが、教会規則は法人法に基づくもので、法人法で法人の行うことは事業と定められています。

ただ法律で定められているからというよりも、教会は何かの活動、行動を行うことよりももっと大切なことがあります。それは聖別することです。聖別するというのは、思い出し、振り返り、良いことを感謝し、罪を悔い改めることです。

罪を悔い改めることなしに、罪の奴隷の状態のままで、ただ活動を続けて先に進んで行くと間違った方向に進んでしまいます。神は、ベト・ペオルで失敗をして、これから神の約束の地に入って行くイスラエルに安息日を守って聖別することを命じられました。

今年度の茂原教会の70周年をとても楽しみにしています。安息年として、皆さんで共に思い出し、振り返り、聖霊の導きによって、良いことを感謝し、必要なことを悔い改めたいと願っています。きちんと聖別を行う者を神は祝福の約束の地へと導いてくださいます。

「そのため、あなたの神、主は、安息日そして安息年を守るようあなたに命じられたのである。」のです。神は命じられるだけではなく、私たちと共におられ、導いてくださいます。神が私たちをこの安息年にどのように導いてくださるか、またどのような将来へと導いてくださるのかとても楽しみです。

4、祈り

ご在天なる父なる神様、御名を崇めます。あなたは安息日を守って聖別しなさいと命じられます。私たちは毎週、主が復活された主日に礼拝を行い聖別します。私たちが主日を聖別し、また私たち自身も主イエスの十字架によって贖われた者として、罪を悔い改め聖別させてください。

茂原教会はあなたによって守られ今年、70周年の安息年を迎えました。今年度の70周年記念事業を、あなたがお導きくださり、聖霊の働きによって私たちがこれまでの歩みを思い出し、振り返り、感謝と共に、必要な悔い改めへとお導きください。そして茂原教会を聖別し、あなたの教会として更に相応しい歩みへとお導きください。主イエスキリストの御名によってお祈り致します。アーメン。