権威を授けられた12使徒
野田信行牧師
新しい年となりました。昨年も色々なことがありましたが、今年も神にあってどんな年になるか楽しみです。
さて主イエスはイスラエルの人々の姿を「群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れている」(9:36)と見られました。人々は二千年前も今も余り変わりはありません。そこで主イエスは、収穫の主に願って、収穫の働き人を送り出して頂くよう弟子たちに指示されました。弟子たちは祈りの中で、もしも自分が働き人として主に呼ばれるなら、つかわして頂こうという思いを与えられていたことでしょう。
神が人をある使命に導かれる時には、その人に必要な賜物・権威は神が授けられます。主イエスは人に責任だけを負わされて、後は自分で努力して成長しなさいと言われるお方ではありません。主イエスは「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(11:30)と言われます。ですから神に導かれる時には、私には賜物が無いから出来ないのではと心配する必要はありません。
賜物は原語のギリシャ語ではカリスで、恵みのカリスと同じ語根です。賜物は神の祝福である恵みによって与えられるものです。主イエスはご自身と同じことを12使徒が行うために、「汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった」(マタイ10:1)。
12使徒の12という数字は旧約の神の民であるイスラエル12部族を引継ぐのは、12使徒であることを表しています。そして、12使徒の役割は今や拡大して主イエスの弟子たちである私たち全てに及びます。
12人の名前が記されていますが、実に様々な人たちです。マルコ6:7によると二人ずつ組でつかわされますので、ここで二人ずつ組で書かれている名前が、つかわされる組であったと考えられます。初めの二組は兄弟同士であり、3組目のピリポとバルトロマイ(ナタナエル)はヨハネ1:45によると友達同士のようです。しかし4組目の疑い深いトマスと主イエスに招かれて喜んで弟子になった細かい性格の元取税人マタイは、人間的に見ると結構大変な組合せだったのではないかと思います。最後の熱心党のシモンとイスカリオテのユダに至っては本当に大変な組合せです。
私たちは色々な問題に直面しますが、その多くは人間関係です。なぜ自分はこのような理不尽な人間関係で生活して、悩まなければならないのかと思わされることがあります。しかしどんな環境であっても全ての人が立ち上がることが出来るように、主は信じる弟子たちに主と同じ権威を授けてくださっています。そして主の御心によって私たちはつかわされます。主が授けてくださった権威を感謝して、今年一年もつかわして頂きましょう。
2016年1月号