愛するとは

安井 直子牧師

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『今から約450年ほど前、キリスト教が初めて日本に渡来しました。言葉の通じない国で苦労した宣教師たちは、やがてキリシタン禁制のために迫害を受けるようになりました。そこで宣教師たちは、処刑によって殉教したり、国外追放される前に、これだけはどうしても日本人に伝えておきたい、と残した言葉がありました。それは「神は愛である」と言うキリスト教の根本的な教を伝える言葉と言ってもよいかと思いますが、「愛」と言う言葉は使っておりません。その代わりに「ごたいせつ」と言う言葉を使っております。その当時「愛」と言えば、人間の煩悩・情欲・愛着などで、成仏を妨げるものと考えられていたようです。そこで、宣教師たちは「ごたいせつ」という美しい大和言葉を作り出し、人間は年齢、性別、家柄、身分、そうしたものと一切関わりなく「ごたいせつ」なのだ、すでに神様に価値あるものとして愛されているのだ、と言うことを伝えようとしたのだと思います。』
渡辺和子「あいするということ」より抜粋
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まことの神様が私たちを愛しておられることを示すために「ごたいせつ」という美しい大和言葉に込めて御言葉を伝えた当時の宣教師たちの、御言葉に対する真摯な信仰と宣教の情熱を感じました。

私たちも、日々の生活の中で神と人を愛するとはどういうことかを思う時、神は私を「ごたいせつ」な者として見て下さっているという感謝のゆえに、私たちも隣人に対してあなたは「ごたいせつ」な存在なのだと言うことを、お伝えしていく事なのではないかと思います。

 茂原教会の今年度の聖句である『わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい』(ヨハネ15:12)を私たちが実践していくためにも、毎日聖書の御言葉を通して、神が私を愛して下さっていることを覚え、その愛によって家族や隣人に「あなたがいてくれてうれしい」という愛のメッセージを言葉で、態度であらわしていければ、私たちの交わりがますます祝福されるのではないでしょうか。

2015年6月号