「開拓地を切り開く」

2026年10月25日礼拝式説教  
ヨシュア記 17章1~18節

        

主の御名を賛美します。

1、ツェロフハドの娘たちの相続地

16章からヤコブの12人の息子の一人であるヨセフの一族の相続地の割り当ての内容に入りました。16章はヨセフの次男であるエフライムの一族の相続地の内容でした。今日はヨセフの長子であるマナセの部族の割り当ての内容です。マナセの長子であるマキルは戦士だったので、ヨルダン川の東側のギルアドとバシャンの広大な地域が彼のものとなりました。

そうしますと、2節の他の6つのマナセの諸氏族はヨルダン川の西側の地を割り当てられたことになります。マキルの子孫のツェロフハドの家系の順番は、マキル→ギルアド→ヘフェル→ツェロフハドです。ツェロフハドには息子がなく、5人の娘がいて、マフラ、ノア、ホグラ、ミルカ、ティルツァです。

彼女たちは相続地の割り当ての責任者である、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、指導者たちの前に進み出て、「私たちにも兄弟たちの間に相続地を与えるよう、主はモーセに命じておられます」

と言います。

確かに民数記27:1~8で5人の娘が訴えたときに、主はモーセに相続地を娘に渡すように命じておられます。ヨシュアは主の命令に従い、父の兄弟たちの間に、彼女たちに相続地を与えます。女性の地位が男性よりも低い社会で、5人の娘たちが相続地を受ける権利を訴えたことは勇気のある行動です。

その結果、女性にも相続地が与えられることは画期的なことと思われます。主は男女を平等に見られるお方です。5人の娘たちは自分たちが相続地を得たいというよりも、「父の名を氏族の中に残すため」(民数記27:4)と言っていますので私欲のためではなく、父の名誉のためです。

14章でカレブはヘブロンを求め、15章でアクサは泉を求め、17章では5人の娘たちが相続地を求めます。これらは直接的には人に求めていますが、主に期待し、主に求めたと言えます。5人の娘たちは、「主はモーセに命じておられます」と言います。主は求める者に応えてくださるお方です。

主の前に正しいことをきちんと主張することは正義を実現することであり、それは自分たちのためだけではなく、後の世代の人たちにも役立つことです。今日は宗教改革を記念する礼拝式です。教会においても御心を求め続け、聖霊の導きに従って、変える必要のあることは勇気を持って変えて、良くしてゆきたいと願います。

「マナセに配分されたのは、ヨルダン川の向こう(東)側にあるギルアドとバシャンの地のほかに、十の地域」ということは、十の地域はヨルダン川の西側のことと考えられます。そして「ギルアドの地は他のマナセの一族のものとなった」ということは、マキルの子孫である5人の娘たちの相続地はバシャンということになります。

2、ヨルダン川の西側の相続地

7~11節はマナセ族のヨルダン川の西側の領土の説明です(地図)。それに対してヨセフの一族がヨシュアに、「あなたはなぜ、一つのくじ、一つの割り当てによる相続地しかくださらないのですか。主が私をこんなにも祝福してくださったので、私は数の多い民となりました」と言います。ヨセフの一族は言葉使いは丁寧に、「一つの割り当てによる相続地しかくださらないくださらないのですか」と言います。しかしマナセとエフライムがいくらヤコブの養子となったとはいえ、ヨセフの一族全体の相続地としては、エフライムの相続地と、マナセの相続地がヨルダン川の東と西に二か所あります。

ヨセフの一族はなぜヨシュアにこのようなことを言ったのでしょうか。理由は3つ考えられます。一つ目は貪欲です。現代でも相続で揉めることはよく聞きます。相続でいくら多くの割り当てを受けても、皆が少しでもより多くを得ようとして争いが生じます。

ヨセフの一族は民数記26章の二回目の人口調査で約8万5千人とイスラエルの部族で最大の部族ですが、人口比で考えますと広過ぎる程の相続地を得ています。隣のダン族は6万4千人、ベニヤミン族は約4万6千人でその広さです。

二つ目の理由は、ツェロフハドの5人の娘たちが相続地を求めたら与えられたので、自分たちも何かを言えばもっと相続地を貰えると思ったのかも知れません。三つ目の理由は、ヨシュアはエフライム族の人間ですので、ここは同族のよしみで一つ宜しくという思いもあったことでしょう。

ヨシュアはヨセフの一族の求めは正当なものではないと判断したようです。ヨシュアは、「あなたが数の多い民で、エフライムの山地が手狭であるならば、森に入って行き、ペリジ人、レファイム人の地を切り開きなさい」と答えます。

ヨセフの一族はより多くの相続地を求めるために数の多さを理由にしましたが、ヨシュアは逆に数が多いならば、自分たちの手で開拓地を切り開くことを命じます。「エフライムの山地が手狭であるならば」と言うことは、これはエフライム族からの要望とそれに対する命令と思われます。

それに対しヨセフの一族は、「山地だけでは私たちには十分ではありません。しかし、谷間に住むカナン人は、ベト・シェアンとその周辺の村落の住民も、イズレエルの平野の住民も皆、鉄の戦車を持っています」と答えます。ベト・シェアンとイズレエルの地名を出して来たことは、これはマナセ族の意見と思われます。

3、開拓地を切り開く

エフライム族とマナセ族のそれぞれが相続地に対する不満を持っていたので、共に協力してヨセフの一族として訴えたようです。ヨシュアはヨセフの家であるエフライムとマナセに答えます。ヨシュアは初めにヨセフの一族が言うことに共感してそのまま受け入れて繰り返し、「あなたは数が多く、力の強い民となっている。あなたの割り当てが一つのくじに限られてはならない」と言います。

ヨシュアのこの言葉を聞いたヨセフの一族は、これは何か良い方向に話が進みそうだと期待したことでしょう。しかしヨシュアは二つのことを命じます。一つ目は15節の内容を繰り返し、「山地の森林地帯をあなたのものにしなさい。そこを切り開き、隅々まであなたのものとしなさい」と命じます。

エフライム族はくじによる御心によってエフライムの山地を割り当てられました。しかしエフライム族は簡単に使える土地のことだけしか頭にありません。山地の森林地帯を自分たちの手で切り開いて自分たちのものにするなど考えが及びません。

ヨシュアはくじによる御心の割り当てによる相続地を量的に拡大する変更は認めません。境界線の変更は認めませんが、相続地の中の未開の森林地帯は積極的に隅々まで切り開いて、あなたのものにしなさいと命じます。18節では「あなたのものにしなさい」と2回言って強調します。

それは主が折角あなたに、あなたのものとして与えているのに、あなたは与えられているものを自分のものとしないで、他のものを欲しがるのはおかしいということです。未開の地を切り開き開拓することは大変なことだと思いますし、実際に多くの困難があることは良く耳にします。

しかし開拓を通してでなければ学べないこともあると思いますし、一度開拓をすれば、後の世代にも財産として残し、使い続けることもできます。この辺りの地域にも色々な地形の場所がありますが、眺めていると、先人たちがよくこのような場所の開拓をして家を建て、田んぼや畑を造ったと感心します。

開拓地を切り開くことは土地だけのことではありません。伝道においても必要なことです。開拓地を切り開くことはゼロから始めるのではなくて、むしろマイナスから始めることも多くあります。エフライムの山地は森林地帯ですので、初めに木を切り倒し、木の根を抜くことから始める必要があると思いますので大変です。

この辺りの地域も宗教が何もないところに伝道するのではなく、古くから住み続けている家の人は寺や寺の墓等との結び付きが強く残っていることが多くあります。キリスト教に興味はあるけれど、自分には墓を守って行く責任があるので難しいと言う人もいたりします。

主が私たちに与えてくださるものには色々なものがあります。自分の人生、家族、学校、職場、教会、友人等です。これらを切り開いて自分のものとすると言うと語弊があるかも知れませんが、主の御心に適うものとする必要があります。自分の人生で何か満たされない思いがあり、何か他のものが欲しいと感じることがあるかも知れません。

しかしそれは、主が私たち一人一人に与えてくださっているものを、切り開き、隅々までまだ自分のものとしていないことから来ているのかも知れません。主が与えてくださっているものを感謝し、主の御心に適うものとするときに、本当の喜びと満足が与えられることでしょう。

4、カナン人の追い出し

ヨシュアがヨセフの一族に命じる二つ目は、カナン人を追い出すことです。ヨセフの一族はベト・シェアンとイズレエルの住民は皆、鉄の戦車を持っていると訴えます。実際、そのためか12、13節はマナセの一族はカナン人を追い出せなかったと言います。

しかしヨシュアは逆に、「カナン人は鉄の戦車を持ち、強いだろうが、きっと追い出すことができるだろう」と言います。マナセの一族はカナン人を果たして追い出せないのでしょうか、それともヨシュアが言うように追い出せるのでしょうか。一体どちらなのでしょうか。またそれぞれの理由はどういうことなのでしょうか。

まず12、13節でマナセの一族はなぜカナン人を追い出せなかったのでしょうか。マナセの一族を含むヨセフの一族の次の14節の言葉が追い出せなかった理由を表しているように思われます。彼らは「数の多い民となった」ことを誇っています。それは確かに彼らが言うように主の祝福の結果です。しかし主の祝福に与り続けたいのであれば、14章のカレブや15章のオトニエルのように主に従い通す必要があります。

申命記20:16、17は「あなたの神、主があなたに相続地として与えるこれらの町からは、息のあるものを決して生かしておいてはならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように、必ず滅ぼし尽くさなければならない」とはっきりと命じています。

主はヨシュア1:3で、「私はモーセに告げたとおり、あなたがたの足の裏が踏む所をことごとくあなたがたに与える」と約束されています。それなのにマナセの一族はなぜカナン人を追い出せないのでしょうか。マナセの一族はなまじ数が多くなったために、主に頼るのではなく、数に頼るようになってしまったようです。

それは次の言葉にも表れています。彼らは、「しかし、谷間に住むカナン人は、ベト・シェアンとその周辺の村落の住民も、イズレエルの平野の住民も皆、鉄の戦車を持っています」です。ヨシュアとしては、「だからどうした」と言いたいところでしょう。マナセの一族は肉眼に見える、民の数や鉄の戦車に心を奪われて恐れています。

14章のカレブや15章のオトニエルは何か自分たちの方が有利に見えたから先住民を追い払うのではありません。ただ主に信頼し、主に従い通しただけです。ヨシュアが、「きっと追い出すことができるだろう」と言うのは、全知全能の主に信頼し、主が共にいてくださるなら、民の数の多さや鉄の戦車は関係ないということです。

ヨセフの一族は主に祝福され約8万5千人とイスラエルの部族で最大の部族となりましたが、そのためにか反って、見えるものに心を奪われてしまうようになってしまったようです。結果として、士師記1:27、29は、マナセ族もエフライム族もカナン人を追い出さなかったので住み続けたと言います。

現代でも、地位が高くなったり、資産や財産が増えると、それらのものに心を奪われて縛られてしまい易いと言われます。それらのものは後から付いて来るものであり、初めに目的にするものではありません。誰でも子孫の幸せを願い少しでも美田を残そうとするものです。

「子孫に美田を残さず」とは良く言ったものだと思います。しかし本当は美田を残すか残さないかが問題なのではなく、美田を御心に従って用いる信仰を伝えていくことが美田よりも大切なのでしょう。

私たちは主イエスの十字架の贖いにより救われ、罪を赦され、それぞれに割り当てられる相続地のようなものが主から与えられます。与えられる相続地を感謝し、聖霊の導きに従って切り開き、主の御心に適うものとして、主の栄光を現させていただきましょう。

5、祈り

ご在天なる父なる神様、御名を崇めます。ヨセフの一族はイスラエルの中で最大の割り当ての相続地を与えられたにも関わらず、困難に立ち向かって行くことを避け、御心に従って完全に自分のものとすることをせずに、他のものを求めてしまいました。私たちにも似たようなことがあります。

主から与えられているものを感謝し、困難があっても、聖霊の力によって切り開き、隅々まで主の御心に適うものとし、主の栄光を現させてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。