歩みを導く神
山脇 正子 副牧師
「あなたはたぶん、いま人生の一つの岐路に立っていて、右に行くべきか左に行くべきか迷っているかもしれない。 きょう、あるいは遅くとも明日には決断をくださなければならない問題があるかもしれない。 それは、取るに足りない小さな決断であるかもしれない。 しかし、あなたはその結果が重大であることを直感的に感じている。 あなたがこれと同じ岐路に再び戻ってくることはないだろう。 というのは、今日くだす決断によって、あすは、きょうとは異なったものになってしまうからである。 そこであなたは、自分の知恵よりも高い知恵の必要を感ずる..」(人生の訓練、決断の訓練より引用)
今から23年前、山脇と私は前述の「人生の訓練」の本のページをめくり「決断の訓練」を読み、 話し合っていました。大きな決断をしなければならない時だったのです。
鉾田の地に任命を受け、結婚1年目、長女直美がまだお腹にいるとき、 礼拝者も4,5人という中で、山脇は通信教育でよいから勉強したいといい出したのでした。
赤ちゃんが生まれるのに..
でも始めました。しかし、数年して類焼にあい、教会堂も牧師館も全焼してしまい、 再び会堂建築ということになりました。
一時中断という中で36才で大学4年生の方々と1年間いっしょに学び通年スクーリングを終え 10年かかって卒業することができました。
さらに学びという中で玉川大学の大学院に通信大学生としては、はじめてという合格通知をいただきました。
その時でした。私たちにとっては右か左かという出来事が起こり、 2人の話し合いとなったのです。 その日の午後3時に銀行に入学金を振り込まなければ学ぶチャンスは閉ざされてしまう。 お金は必要なだけぴったり与えられていたのですから..。
「本当にいいの?本当にいいの?」という中で山脇の最後のことばは、、、
「僕は伝道者だ。教育者だったら無理しても、もう少し学びたい。しかし、これ以上学校へ行くことはしない」と。
その時のことは、今でも鮮明に覚えています。大切な決断の時だったのです。 私たちはすべてを神に委ね祈りました。
翌年、私たちは茂原教会に任命を受け、 今日まで足りないながら、心を注いで仕えることをゆるされたのです。
この頃、神のみこころを知るために、どうしたらよいのかしらと考えています。 神の思いと自分の思い、どうしたら見分けることができるのかしらと...。 個人も家庭も教会も、 「何のために、誰のために、今」ということを大切に決断し行動していくことではないでしょうか。
「人は心に自分の道を考え計る。
しかし、その歩みを導くものは、主である」
(箴16:9)
2000年3月号