ぶどうの木 10周年を迎えて

山脇 正子 副牧師

 月報「ぶどうの木」が10周年を迎える事ができましたこと本当にうれしく思います。事務室に行き、ファイルされた3冊を手にとってずっしりとした重みを感じた事でした。2000年5月号は№121ということになり継続する事のすごさを感じます。

 歴代の編集者の方々ご苦労様でした。「1ヵ月おきにしようか」など話し合われた事もありましたのに、続けられたのは水をくんで下さった方々があったからではないでしょうか。夜遅く印刷の匂いと温かさの残っているできあがったばかりの「ぶどうの木」を楽しみに何回読ませて頂いた事でしょうか。

創刊号は1990年5月20日に発行。 №1から№3までは月報「茂原キリスト」で発行されていました。№4から募集され決定した「ぶどうの木」となり枝枝を広げてまいりましょうと書かれていました。その年の10月には高師から下永吉に教会が移転してきました。月報のスタートと共に教会の大きな動きの記念の年ということになるのでしょうか。1枚1枚をめくってゆく時、教会の歴史を感じ、枝枝の姿が手にとるように知らされます。

私は、ほとんどペンをとることもなく過ごしてきました。しかし、№49から主任牧師山脇と交互に巻頭言を書くようにと編集者からの依頼でした。私のものは文章で残っていないという温かい心からの命令でした。頭をかかえて絞り出すように書いている状態でした。「どうしたら書けるのかしら」と問う私、「書けば書けるようになる」と答える山脇。そうでした。「できない」のではない「しない」のです。「書くか」「書かないか」であって、書けないのではなかったのです。

ありがたいことに私も各月巻頭言を書き続けて6周年になりました。人は自分にとってちょっと重いことをすることにより自分のためにも周りのためにも一回り大きな器に成長することができるのですね。ちょうどよいことばかりをしていると退化してしまうのかもしれません。「ぶどうの木」を通してちょっと苦手なことに挑戦することができたことは感謝でいっぱいです。
 これからの「ぶどうの木」が教会の歴史を綴りながら新しい力をいっぱい引き出し、枝が繁茂することができ多くの実を結ぶことができたら何と幸いかと思っています。
彼は水のほとりに植えた木のようで
その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。
その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、
絶えず実を結ぶ(エレミヤ17:8)

2000年5月号