「・・・・・」

山脇 正子 副牧師

 暑い夏、若者達とのキャンプやお泊り会のプログラムをすべて終えて、ひととき休暇をいただきました。
 今年は、休暇のプランの中に、妹の家にひとりで行くことを入れました。夜遅くおとずれ、次の日の午後には帰宅の途についたのですから、それほど、多くの時間を過ごしたのではありませんでしたが、身も心もすっかり憩わせてもらったのです。「お姉さん、お風呂に入る」「お姉さん、果物食べる」....と、声をかけられ気をつかうこともなく、そこに座っているだけで...。二人でおしゃべりをしながら、ふと、「ねえ、朋ちゃん、この時計とまっていない」とことばを発して...時がゆっくりゆっくり流れている中で過ごしていることに気がついたのです。

すべての方の永遠の人生に、かかわる働きのために召されて、置かれている自分。ある時は一刻を争うような緊張感の中での伝道、牧会。それと共に、その方のペースを大切に、ゆっくりとした関わりの中での伝道、牧会。どんな時もこちらにゆとりがあって見極めできることなのです。いつの間にか空まわりしていることさえ気づかずに...。

「現代人には、沈黙ということが欠けているのではないでしょうか。 自分の生活の主導権を失い、出来事に引きづられて生きる、 時計とにらめっこの生活ですね。
いろいろな方が、私に会いに来られますが、 それは私の中に安らいだ人間、話を聞いてくれて あとの時間のことを気にかけない人間を見るからではないかと思います。
毎日の生活が卵の中のようにいっぱいつまっていたら何も入れる余地はないし、 神ですら、そこに何も入れることができないでしょう。 ですから、生活の中に隙間をつくることが大切になるんです。」 (ポール・トウルニエ)
 多くの方々に関われば関わるほど、キリストによる救いのみが、すべての方のすべての問題の解決のカギであり、さいわいな人生へとスタートできる道なのだと知れば知るほど、自らはゆとりの中で、
この人による以外に救いはない。 わたしたちを救いうる名はこれを別にしては天下のだれにも与えられていないからである (使徒行伝 4:12)
・・・のみことばを確信して収穫の秋の働きを進めたいと願うものです。

2000年9月号