豊かなクリスチャン生活
山脇望牧師
「いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい全ての…。」
新年明けましておめでとうございます。多くの思い出を後にして、新たな一歩を踏み出しました。未知の一年が始まったのです。
誰でも願うことは、豊かな生活であります。満足のいく、自分のことだけでなく、他の人にも分けて与えたいと思う生活です。どうしたら、その生活が私たちのものとなるのでしょうか。その秘訣を聖書の上記の言葉の中に発見することができます。非常に鮮明であり、分かりやすい内容であります。
<いつも喜ぶ>
ローソクに火が灯るためには、「芯」が必要です。そのように喜びを経験するためのシンになるものが必要です。何をもってそれとするのでしょうか。「合格」「進学」「結婚」「旅行」「買物」「健康」…。その他いろいろあります。
喜びがいつも、となるのはどうでしょうか。必ずしも容易ではありません。それなのに聖書は「いつも」と語ります。ということはどんな物にも「芯」となるものが必要であります。
それが「イエス・キリストにあって…」と、主イエスにあって喜ぶことのできる生活が実現します。主イエスの恵みとみわざ、知恵と助けを頂いて、主イエスが喜びを与えてくださいます。
<たえず祈る>
祈りとは神との交わりです。神に立ち向かう心です。喜びの時、嬉しい時、希望に溢れている時、悲しい時、問題に直面してその打開策の見出せない時、ひとり孤独の中で苦戦している時、どのような中にあっても神に祈ります。神が最善のみわざ、み心を用意してくださいます。その生活が私たちを豊かにしてくださるのです。
人は交わりの動物です。交わりを通して命をいただきます。祈りの豊かさは、生活の豊かさ、自分自身の豊かさになります。
<すべてのことに感謝>
感謝ばかりしていたのでは、いいかげんのところで満足してしまい、成長しないで終わってしまう、という意見もあるでしょう。成長するには、常に今を不満な状態に置き、努力することこそ大切なことなのだ、と申す人もおります。
そうであるよりも、感謝することの方が大切ですし、感謝の心の中に新しい心が与えられていきます。
豊かな生活、それは‘喜ぶ生活’‘祈る生活’‘感謝する生活’のうちに培われていくものであることを知ります。それは主イエスに根ざすところにあります。
2003年1月号