◆ただ主を見あげて
山脇正子副牧師
8月というのに、夏は、いつやってくるのだろうと思う毎日です。5月31日には、99歳の故U兄を、7月27日には、75歳の故E姉を天にお送りしました。天上は、にぎやかになられたかもしれませんが、地上は、ぽっかり大きな穴があいてしまいました。特に、ご遺族の方々のお気持ちはどんなだろうと思います。お二人々、長い信仰生涯を送られ、それぞれの道を歩まれました。
三浦綾子さんが「人は最後に死ぬという仕事がある」と、言われましたが、お二人共、私に「召されるということは大仕事ですよ」と語ってくださいました。そして、見せてくださいました。お二人共、まわりの方々の心のこもった、あたたかい看護を受けられ、病という苦痛の中でも、幸せな方々であられたように思います。
もう少し、もう少しお元気になられて…と思うのは、私たちのよくばりだったのでしょうか。
私も、最後のときをいつか迎える厳粛さを感じています。私は、故E姉と同じように、病の中をずっと過ごしてきたように思います。
結婚して6年目、次女の1才の時からリウマチ…その他、次から次へと色々な経験をして、私の元気な時、何でもない時はどの位あったのかしらと、考えたりもします。
この間、Y兄に「先生は、何度たおれても起き上がりますね」といわれて、思わず、「今度、何かあったら天国へ行かせてもらいます」と言ってしまって、今まで、まわりの方々に、心配をかけ続けてきたことを思いました。
故E姉の「神さま、待ってて」「神さま、待ってて」と何十回も、召される前日の朝、語られたり、最後までまわりの人を気遣い、ご自分の身だしなみのことを心配し、どんなにつらい時でも、みことばを開いて読み、祈るとき、すぐ、そのあとに祈りはじめられる姿に、たえず主のご臨在の中にあった姉妹を思いました。
U兄も、最後の時、若い時の路傍伝道を思ったのでしょうか。「タイコ、タイコ」と…おっしゃったとか。
私たちは、小さな歩みをかさねた集大成が召されるときなのだと思わされます時、今日1日を大切に、主と共に歩むものでありたいと願います。
「ヤコブよ、あなたを創造された方は言われる・・・
恐れるなわたしはあなたをあがなった。
わたしはあなたの名を呼んだ。
あなたはわたしのものだ。・・・
あなたは、わが目に尊く重んぜられるもの・・・
わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これをつくり、これを仕立てた」
(イザヤ43:1~7)
今、私はこのみことばをくりかえし、くりかえし思いめぐらしています。だた、主を見あげて。
2003年8月号