一日一事

山脇望牧師

計算通り、予想通りに行くとは限らないのが社会です。それはあたり前だと、心で思い口で言っていても、実際には思い通り行くことを予想して生活していることを知ります。

今年は例年より早い田植えがなされておりました。4月のまだ肌寒い、いつもなら5月の連休を利用して、もっと以前は6月の梅雨頃に田植えをしておりました。

 どうしてそんなに早く植えたのでしょう。それは昨年が猛暑で、4月中でも心配ないと思い、早く収穫すれば高価で売ることができる、とこうなってしまいました。

 ところが現実は予想に反して冷夏といわれるほど、涼しい夏でした。書斎のクーラーは一度使用しただけの涼しい毎日でした。

 刈り取りも、早く田植えをしたのですから早く収穫でき、高い値段で売ることができると思っておりました。現実は9月になっても刈り入れの終わっていない田があちらこちら見ることができます。人の計画通りにいかないものです。

 予想外の出来事といえば、プロ野球阪神タイガースが優勝最短距離にあることです。マジックが点灯して、いつ監督の胴上げを見ることができるか、ファンにとってはうれしい誤算であるでしょう。

 私たちの生活の中には、日々いろいろのことが起きてきますが、自分の予想、計画、希望、観察とはちがった出来事が起きてきます。むしろ、それの方が多いでしょう。そして一喜一憂しています。

 私たちは、「過去」のデータに従って、「未来」を予想することもよいでしょう。しかし、最も必要なことは、「明日のことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」と生活していくことがすばらしいのです。明日のことは、人間の領域でなく、神の領域であり、「今日」こそが「私たち」の領域になります。神の領域に立ち入る人間こそが高慢になっていくのです。

 神は人間の領域を超えてみわざをなしてくださると思います。

 今の時を最善に生きていきましょう。

2003年9月号