新しい期待を持って

山脇望牧師

新年明けましておめでとうございます。

 毎年、1月は「新」の字が多く用いられる月でしょう。川の流れのように「時」は過ぎていくのですが、新年を迎えるとき、何となく、新しい雰囲気を覚えるのは確かです。新しい日記、手帳、こよみ、など…。

 皆様はどのような思いで、この年を迎えたでしょうか。

 「昨年とそんなに変わらないでしょう」

 「昨年のようでは困る。新しい心でこの年を歩みたい」

 「どのような事が起こるのだろう」

 毎年、新年になると思うのですが、決して昨年と同じではないということです。新しいわざが行われていくということです。クローン牛が話題になりました。クローン人間をも製造しようと、研究している学者たちがおるといわれます。

 けれども、私たちの歩みは決して、クローン年ではありません。決して、昨年の繰り返しではないということです。私たちは良い方向に変えられていますように、と新しい信仰と期待とを歩みをなしていきましょう。

 昨年の教会標語は「豊かなクリスチャン生活」でした。

 教会の庭に植えられている柿の木は、昨年一つの実も、食べさせてくれませんでした。花は咲き、たくさんの実をつけたのですが、途中からポトリ、ポトリ、と落ちてしまいました。楽しみに見守り、期待していたのですが、とても残念でした。でも、今年があります。また新たな期待をもって、見守りましょう。

 柿の木ではありませんが、私たちの生活においては、いかがだったでしょう。

 「わたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる」と、主イエスは語ります。

 神は常に「新しい事をなす」方です。そして、私たちも常に変わっています。今年は昨年より良い方向に変わっていきましょう。「実」は、私自身のためよりも、それをいただく他人のためでもあります。神の栄光のためであります。

2004年1月号