ボケないために

山脇望牧師

 春一番が大地に吹き荒れました。ゴミが枯葉が砂とともに舞い踊っております。春の到来を喜び、歓迎しているかのように。

 人間社会にとりましても、春は近いのです。冬の間,、静かにしておりました草木の芽吹きに合わせるように、人々も動き出します。ある人にとっては,、それほどでもないでしょうが、ある人にとっては強く激しい、時には予想もしない激動を 経験することです。

 「ボケやすい人、ボケにくい人」なる題の書物が売られています。専業主婦のボケ率は高いとありました。それはあまり生活に変化がなく、「朝起きて、夜寝るまでは…」、と長い歳月行っていることが、単調でもう熟知していることを、日々行っているだけ、ということのようです。私は考えました。「ひとりになったら、セブンイレブンではいけないのだ、苦労し、知恵をしぼって作らなければならない」と。

 その意味では、クリスチャン生活はボケにくいのです。聖書を読み、教会に来て礼拝し、奉仕をなし…と。でも、気をつけなければいけません。長いクリスチャン生活にて、いつの間にか単調になる傾向があるからです。聖書の言葉も同じ、説教を聞いても、「あれは…」と、何となく分かってしまいます。すると自然に目が重くなって、安眠の世界になってしまいます。(これはボケとはちがいます)

 変化があるということは大切です。新鮮な思いで生活できるのです。聖書の読み方を変えてみる、書物を読んでいく、今まで行ったことのないことに挑戦する…など。

 その意味で30年ぶりに教会の牧師が変わり、新しくなることはとても良いことです。

新鮮な思いで教会と関わることができますし、新しい意識を持つことができます。ときには先生もとまどい、皆様もとまどうでしょう。新しい衝突も起き、火花が散るでしょう。

 今まで静かに、外にいた人が動き出し、動いていた人が影を潜める、となるかもしれません。春一番が吹き込んだのです。

 「この岩の上にわたしの教会を建てる」と、吹き嵐れるなかに、「岩」に立っています。「岩」とは、「主イエスに対する信仰」です。この信仰に生きるとき、いかなるなかにありましても、新鮮な心で、神の栄えのあらわれますことを願いつつ、歩むことができます。

2008年3月号