ひまわり
古川江利子副牧師
夏の花というと、どんな花を思いますか?私にとって昨年咲いた、一本のひまわりの花は忘れられない思い出の花となりました。
春になって教会学校でひまわりの種を植えました。プランターに子どもたちが種を植えます。「僕の芽が出た!」「私のこんなに大きくなった!」と子どもたちの喜ぶ顔と共に成長していきました。
7月のある日、もうすぐ花が咲こうとしている1本のひまわりの茎がつぼみの途中で折れていました。「がくっ!」という感じで無残にも折れていたのです。本当に悲しくなりました。がっかりしました。
それから、見るのも無残なので、この折れたつぼみをどうしようかと、考えました。もしかしたら、つぼみの折れたところを切って。水に入れれば咲くかもしれない・・・とか。つぼみを持ち上げて、添え木をしてみようかしらとか、色々考えました。しかし、考えながら何もできず、つぼみはそのまま教会の玄関のプランターの中にいました。
数日たったある日の事・・・驚くべき事が起こっていたのです。(どうなっていたと思いますか?)なんと、この折れたひまわりのつぼみが、太陽に向かってもう一度頭をあげていたのです。この花は、生きよう!と、咲こう!と、懸命につぼみを太陽に向けて上げたのです。
そして、なんとたくさんのひまわりの花の中で一番最初に花を咲かせてくれました。途中で茎が曲がって、少し不恰好だけど・・・この折れてしまったひまわりは、私の生涯の中で、決して忘れることのできない花、かけがえのない花になりました。
このひまわりの花から、折れてしまっても終りではないよ!光を信じているなら・・・もう一度太陽に向かって顔を上げてごらん!と、まだ終りじゃないよ!だいじょうぶ!と神さまからメッセージを頂きました。
少し不恰好だけれど、美しいひまわりの花が咲いた数日後、突然の出来事が起こりました。今まで元気だった私の母がくも膜下出血で入院・手術になりました。10時間の手術の後、肺炎を起こし、もうだめだ~といったような所を何度も々通りました。でも、その度に、あの折れてしまったひまわりの花を思い出し、だいじょうぶ!あきらめないで!と思いださせられました。約10ケ月の入院の後、今 母は生きています。神様の力によってもう一度いのちが与えられ、神さまのいのちによって生かされています。母を見るたびに、神さまの素晴らしさを思います。
「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。」(詩篇84:06 新改訳)
イエス様の十字架の傷から恵みの泉が流れ出るように、折れてしまったひまわりの懸命に咲く姿から・・・多くのことを教えられ、慰めと励ましと力が与えられました。
わたしたちも、不恰好な所、曲がってしまったところがないでしょうか?でも、私たちが、もう一度主を仰ぐなら、その曲がった所、不恰好な所すら・・・こそ・・・神の栄光のために用いられる!そんな事を折れてしまったひまわりから教えられました。この夏!ひまわりの花を見たら、神さまの慰めのメッセージを思い出すことができますように、お祈りしています。
2008年7月号