見つけた喜び PART2

古川江利子副牧師

車の鍵が見つからないのです。

・・・これは、先月の「ぶどうの木」の巻頭言のくだりです。「鍵が見つからな~い」という同じ出来事を通して、人それぞれ見方や感じ方が違うことをお証ししたいと思います。

あの月曜日、私は教区CSキャンプのテーマを決めて、小見川教会にFAXしなければいけない!という宿題がありました。数日前から依頼されていましたが、どうも、ぴったりとした言葉が見つかりませんでした。朝から祈り、実家に帰る車の中でも、「あーでもない、こーでもない」と。いつもの様に茂原に戻る前に祈る時も、「ねぇ、お母さん、今日中にキャンプのテーマを決めないといけないの、祈ってね!」そして祈った後、それは起こりました。車の鍵が見つからないのです。

鍵をなくすのは、私の担当?なので、疑いなく、ポケット、かばん、歩き回った所をくまなく捜しましたが、見つかりません。庭の草むしりに、立ち木の選定をしたので、3つの生ごみポットの中まで手を突っ込む羽目になりましたがありません。祈っても見つけることができませんでした。(いつもは、祈ると見つかるのですが・・・。)

何だろう?この鍵が見つからない!という出来事の中にどのような意味があるのだろう?と思い巡らしながら(ちょっと、かっこ良すぎますね)帰路に着きました。

車の中で、信一先生にとって、大切な鍵であったことから、いなくなった羊を思う羊飼いの気持ちを2人で考えました。見つからなくても、あきらめない、どんなことをしてでも見つけたいと願う、羊飼いの気持ちを。いなくなった羊は、羊飼いにとってかけがえのない宝物であったこと。それと同時に、そのようなお方を、見出すことは、全財産を、生涯をかけても惜しくないほどの、私たちの宝であることを思いました。その時です、「宝物見つけた!」と言うキャンプのテーマが心に響いてきました。祈っていたキャンプのテーマが与えられたんです!

教区CSキャンプが8月4~6日に行われます。「宝物見つけた!」と言うテーマで3回のメッセージを取り次ぎます。この夏、子どもたちが、宝物を見つけることができますように。何より、自分自身が大切な宝物であることに気づくことができますようにお祈り下さい。

また、天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。

高価な真珠を一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。

– マタイによる福音書13章45~46節 –

思いがけない出来事を通して、「見つけた喜び」を味わうことができ感謝でした!

2009年7月号