奇跡は旅の終わりに…

古川江利子副牧師

夏期休暇には、毎年古川の故郷である、愛媛県に帰ります。昨年、骨折や入院した両親でありましたが、みなさんのお祈りに支えられ回復している姿に、安心して帰って来ました。しかし、年々弱っていく姿を見せられ、一時一時を大切にしなくてはと、思わされました。特に、今回父が人生の応援歌であると言って、新聖歌441「望みは失せ」を歌ってくれました。この両親の祈りに日々支えられている恵みを感謝しました。

さて休暇の最終日の8月30日、思いがけない経験をしました。伊勢原の父が肺炎を起こし、苦しい状態であると聞き、急遽2人で病院に向かいました。父の手足は冷たく、力がありませんでした。「お父さん。」と呼ぶと、うっすらと目を開けてくれますが、すぐに閉じてしまう状態でした。古川が、ゆっくりと詩篇23篇を耳元で読み祈ると、父は小さな声で「アーメン」と言いました。父に、イエス様を信じて天国に行ってほしいと伝えると、「うん」と頷きました。もう日曜日の夕方になっていましたが、普段から訪問してくださっている伊勢原教会の先生に来ていただき、洗礼の恵みにあずかることができました。

父は不器用な人で、家族が安心して生活ができるように養い守ることが、父の私たちに対する愛情表現であったと思います。

コミュニケーション不足で、以前から父と母の間には、大きな心の溝があったことを私は知っていました。元気だった頃の母は、「父だけは、絶対に許せない」と常々強い口調で言っていたので、人間的には、この夫婦の回復はあり得ないだろうと諦めていた、というのが正直な私の気持ちでした。

ですが、イエス様が、私の所においで下さり、「きょう、救いがこの家にきた」と語ってくださって以来、聖霊なる神さまの働きが目には見えませんが、家族の中にも働き続けていて下さった事を思います。

その後、洗礼を受けた父の病床を訪ねた母が「お父さんのおかげで、私は幸せです。」

と涙を流して、感謝の言葉を述べる姿を目のあたりにさせられ、このような主の業を見せられるとは、思ってもみませんでした。まさか!と思えることを通して、家族と夫婦の回復の業がなされました。

神さまは、この素晴らしい出来事を旅の終わりに残しておいてくださり、人間の考えもつかない方法で、人間の力ではどうすることもできない奇跡の業を見せてくださいました。旅の終わりに奇跡を起こす神は、今も生きておられ、私たちの内に豊かに働いておられる事を経験した夏期休暇でした。

「立って南方に行き、エルサレムからガザへ下る道に出なさい。」

宦官は喜びながら旅を続けた。

– 使徒行伝8章 –

2009/09月号