♪翼を下さい
古川江利子牧師
主を待ち望む者は 新たなる力を得、
わしのように翼をはって、のぼることができる。
– イザヤ書40章31節 –
8月に続いて、今月も「ぶどうの木」の巻頭言を書かせていただきます。本来なら、信一師が書く月なのですが・・・先週、右手の小指を骨折しピンチヒッターとして今月も登場しました。
あなたは、文章を書くことが好きですか?人には、向き・不向きがあり、私にとって、文章を生み出していくことは、かなりのプレッシャーと重荷に覚える事です。書きたい事はあっても、それを言葉に表す事や人にわかりやすく伝える事の難しさを感じています。
この茂原に来て、文章を書くチャンスを与えていただき、書き終わって実際の文章を読むと、独りよがりの・・・意味の良くわからない文章であると、反省する事しきりです。
今回「イエス様・・・」と祈っていた時、鳥の姿が心に浮かんで来ました。
鳥の背中には、私にはない、翼がついています。その翼をはばたく事によって、空高く、大空を飛びまわる事ができます。
しかし、もし、あの鳥が翼を使わずに生きていたならば、その翼は重荷のほか、何でもありませんよね。
重い翼を背負い続け、地上を、「重い、重い」と這って歩き続けるならば。
あなたの重荷と思える物は、あなたの翼だぞ!その重荷と思える事を通して、あなたは、大きく羽ばたく事ができるんだよ。自由自在に、信仰の翼を広げて、空高く、今まで見えなかったような、信仰の世界を見ることができる翼を、あなたに、その重荷をあげよう。「さぁ!飛んでごらん。」そんな風に聞こえてきました。
振り返ってみると、重荷と思える事や経験も、今となると、イエス様の事を深く知る事につながっていたり、自分自身がその重荷を通して育てられていたことに気づく事があります。
この文章を書く事は、今は重荷ですが、イエス様の素晴らしさ、信じて生きる喜びを、わかりやすく伝える為に、苦闘しながら書き続けることに意味がある事を信じながら、今日も書きます。
今、あなたの重荷は何ですか?もしかして、それは、信仰の世界を飛躍する、あなたの翼かも知れません。
2010年9月号