神様の御手の中で動き出す

古川江利子牧師

 その時計を見つけた瞬間「これだ」とわかりました。それから、お財布の中身も確認、1260円こちらも大丈夫です。

さて、先日の礼拝のメッセージでもお証させていただいたように、私は、この年、この時を忘れないように、2011年を象徴する物、鍵の形をした時計を買いました。

しかしこの時計、買った時は、止まっていて動きませんでした。店員さんは、違う物に変えた方が良いと、親切に言って下さいました。

でも、特殊な形をしていて、見た瞬間!これだ!と言うインスピレーションを感じた時計だったので、諦める事ができず、止まっていたとしても、時計として使えなくても、この時計を買うことにしました。

 それから・・・夜、もう一度、時計を手にして、何気なく、時刻を合わせると、何と動かなかった時計が動き出したのです。

そして、今もしっかりと時を刻み、動き続けています。

もし、あの時、店員さんの言葉に従い、違う時計を買っていたら、こんな感動と喜びを感じられなかったかもしれません。時計が時計として動く事の素晴らしさと、止まっていたものが、動き始めた感動を味わっています。

 私は、救われた時の事を思い出しました。平凡ですが、何不自由なく暮らしていても、満足のない生活。生きる意味や目的もなく、ただ生きていた

者がイエス様に出会い、生かされている事を知りました。あの時計が、動き始めたように、本当の意味で人として、生きはじめた、動き始めた日であったと思います。

イエス様に出会い、本当の自分に出会った時、それぞれに与えられた使命と目的にそって生き始めるのではないでしょうか。

そんな事を思った時、瞬きの詩人

水野源三さんの詩に心が留まりました。

『生きる』  水野源三

神様の
大きな御手の中で
かたつむりは
かたつむりらしく歩み
螢草は
螢草らしく咲き
雨蛙は
雨蛙らしく鳴き
神様の
大きな御手の中で
私は
私らしく
生きる

2011年9月号