ほっとスポット

 

古川信一牧師

昨年は半年間、牧師館を離れて、アパート住まいをさせていただきました。  

始めの3ヶ月を過ごしたのは、1階の角部屋で、北東方向にすりガラスがはめ込まれ、南東方向がすりガラスのアルミサッシで開けられるようになっていたため、2方向から光が入るとても明るい場所でした。サッシを開けると外が見え、新鮮な空気が吹き込んできました。

部屋の前には、ちょうど大きな木が立っていて、地面に力強く根をおろしている幹をいつも眺めながら、心がほっとし、大自然の営みを肌で感じつつ、ゆっくりとした時の流れに包まれながら、過ごしていました。

ある日、ふと見ると、網戸越しに1匹の白い猫が、きちんと座ってこちらを見ているではありませんか。こちらがいつも戸を開けているのをよいことに、その白猫は根気よくやってきては、私たちの様子をじっと窺っています。そのうち、妻はその猫に勝手に命名して、「ハム」をあげるようになりました。そんなことをして、猫が味を占めて、うちに入り浸りになったら大変だと思う私の心配をよそに、せっせとえさを与える妻を、私は始めのうちは、快く思っていませんでしたが、妻のいないある時、あまりに根気よく座っているその姿に、つい、椅子を立って、「ハム」をあげてしまいました。

それからしばらく時が過ぎたある日、ふと見ると、今度は茶色の猫がまたしても、静かにこちらを覗き込んでいることに気がつきました。(ははん。白猫から聞いたか。こっちは、自分のことで精一杯なのに。もうこれ以上猫の世話をしている場合ではないよ。よーし、こうなったら根競べだ。世の中そんなに甘くはないぞ。)とか何とか、思いながら私は、知らんぷりをしていました。15分ぐらい、にらみあいが続いたでしょうか。ようやく彼はあきらめて帰っていきました。

ところがその茶色猫もそれ以来、足しげく訪ねてくるようになり、妻は「茶太郎」と命名し、「ハム」を与えるようになりました。そうすると、彼は決まって、エアコンの室外機の上で目を閉じてくつろぎ、しばらくの時を過ごしてから帰るようになり、えさをもらったらさっさと帰る白猫とは少々違っていました。猫にもいろいろ性格があるのでしょうか。彼に対しても、私の決意がもろくも崩れ去ったことは言うまでもありません。

このことを通して、神さまの前に、私たちの恵みの場所、安らぎの場所、「ほっとスポット」がいつも備えられており、最善のものを与えずにはいられないお方が、そこに待っていることに、改めて気づかせられました。

さあ、早く、

最上の着物を出してきてこの子に着せなさい。

ルカによる福音書

2012年1月号