遥かなる旅へ

古川信一牧師

先週、中国地方で、全国で最も早く、「春一番」が吹いたというニュースが、伝えられていました。

この風は、新しい季節の足音を感じさせますが、「春」は、冬枯れの中をじっと耐えてきた、花や木々が一斉に芽吹く季節であり、新しい出発の季節、旅立ちのシーズンと言えるでしょう。

わたしは、昨年通された弱さの経験以来、新たなる旅立ちを告げる「風」を、感じながら、今に至っています。

使徒行伝27章において、使徒パウロはローマへの舟旅の中で、思いもよらない嵐に遭遇します。ローマ行きは、神さまの約束であり、ご計画であったにも関らず、彼は危機的な状況に直面させられました。

舟の人々は、あらゆる手を尽くし、最善の努力をしましたが、最後は「吹き流されるままに任せた」(15節)のです。これは、彼らにとって、もうこれ以上どうにもならないという行き詰まりの経験であり、弱さの経験であったことでしょう。

しかし、不思議なことに、一人の命も損なわれることなく、舟はこの嵐によって、遥か千キロ以上も流されて、結果として、神さまが導こうとしているローマへと、むしろ近づけられたのです。

「吹き流されるままに任せた」と訳された原語は「運ばれる」、「推進される」とも訳せる言葉で、受動態なのですが、この言葉の能動態が、『(聖霊の)「激しい風が吹」く』(使徒2:2)なのです。

確かに、嵐によって、舟はなすすべもなく流されたのです。けれども、見方を変えるならば、こんなこと無いほうがよいのにと思える経験を通して、むしろ、神さまのご計画の近いところへと人々は、運ばれたのだというメッセージが、響いてくるのではないでしょうか。

そして、そのプロセスの中に、危機のど真ん中で、語りかける神さまの希望の言葉がありました。なぜなら、彼らの旅は、決してここでは終わらず、まだまだ先があるからでした。

もう間もなくすれば、美しい桜の季節が巡ってきます。そして、わずかな間、精一杯の命の輝きを見せた桜の花びらを、風はまた、そっと運んでいきます。

ここがどんなに住み良いところでも
風が迎えに来たら私は行くのです
私が降り立つ新しい大地には
何が待っているのでしょう
私はそこで小さな黄色い花になり
また風に乗って旅に出るのです
私の旅は終わりのない旅です
– 星野富弘 –

2012年3月号