キリストの与えられる荷を負っていく

茂原教会責任牧師 大前信夫牧師

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 - マタイによる福音書11:28~30 –

ゆっくり休みましょう
 聖書の時代、一日の始まりは日没からでした。働くことからでなく、休むことから始まったのです。今も一週の初めの日を休み、そして、礼拝を行います。礼拝で神の前に休む…これがあなたの一週間のスタートです。
キリストは「重荷を負うて苦労している者」のすべてを招き、休みを与えられます。やることは全部やったけれど、上手く行かない人も、何をして良いのかもう分からない人も、誰もが招かれています。

時間や心に余裕がないと、誰かを自宅に招くことは難しいものです。でも、キリストは余裕があるから私たちを招かれるのではありません。私たちがキリストを必要としているからです。疲れたあなたが、たとえ軽い荷だからといって、新しい人生の荷を負うのは酷な話です。だから日曜日、礼拝でまず神にゆっくり休むのです。

あなたの荷を降ろしましょう
 キリストにあって休むのですから、まず抱えている荷を降ろします。つまり「手放す」のです。「手放す」とは、これが正しいと考えるあなたの方法、このようになって欲しいという結果に拘らないことです。でも、拘らないというのは簡単ではありません。ここに疲れの原因があるからです。でも、荷物を背負ったまま座っても休まらないのと同じで、手放さないとキリストに休めないことは誰もが分かっているはずです。

軽い荷を負いましょう
 さらに、キリストに休むためにキリストのくびきを負います。くびきとは重く、拘束するものとイメージしますか。でもそれは負いやすく、軽いのです。

なぜなら…
第一に、キリストといっしょに荷を負うからです。
重い荷物なら、誰かといっしょに運びます。一人で持とうとするから疲れます。これからあなたはキリストのくびきを負う、つまりキリストといっしょに人生の荷を負うのです。

第二に、キリストが負われる荷をあなたの荷とするからです。
あなたが抱えてきたものによって十分に悩み、疲れました。キリストは、「あなたの荷を手放し、わたしの荷をいっしょに負いませんか」と招かれます。

だからあなたが負っている荷をもう一度確認しませんか。それが、キリストがいっしょに負われる荷なら、自分だけで頑張らないことです。もしキリストが与えられた荷ではなく、自分が抱えて込んでいる荷なら、もうあなたの心を悩ませることを止めましょう。キリストがあなたといっしょに負いたいと願う荷を、軽やかに負っていきませんか。

2016年6月号